さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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竹島プロジェクト2014

2006年以来参加中の「竹島プロジェクト」ですが、2014年も呼びかけだけはやります(笑)

政治の右や左の細かいことは関係ありません。竹島は間違いなく、日本の領土だ!
この一点において、またその心意気に賛同いただける方々で、ブログを使い、この認識を広めていただける方に参加いただきたいと思っています。

普段政治系のネタをやっているとかやっていないとか、関係ありません。
むしろ普段政治ネタをやっていないブログの皆様が参加してこそ、運動が広がる契機になります。
ぜひよろしくお願いします。

ブログ参加概要(推奨):
ブログやホームページに竹島の画像、イラスト、文字等を配置し、互いにリンクする。
島根県Web竹島問題研究所へのリンクをはり、2/22竹島の日のアピールに勤めます。

・以下私見(去年と文面はほぼ同じです)
ここのプロジェクトの影響ってわけではないと思いますが、最近はtwitterなどでも、いわゆるネトウヨと嘲笑されるような発言をたくさん見てきました。twitterのアイコンに日の丸系とでも言ったら良いんでしょうか。私自身は、この手合いが増えていることは手放しで喜ぶ気分には慣れません。概ね主張する内容は極論の方が多いです。
私自身は右・左に関しては、今の基準で言えば右、緩い保守派とでも言えるのかも知れませんが、思想が自分と違えども話が出来る人ならいいのですが、右であろうが左であろうが、極論しか述べないのは自分にはついて行けないなーと思うことしきりです。自分の政治ネタブログを始めて10年ほどになりますが、極端な人は右も左も同根同質という印象です。

これを以て日和ってると思われるならご自由に、なんですが、私の昔からの主張は、冒頭にあるように右や左の細かいことは関係なく竹島の日を広めよう、それは政治イデオロギーの問題じゃなくて、領土に対する意識問題だという気持ちも入っています。(実は竹島は日本のもの、という主張は、保守の真逆にあるであろう日本共産党が一貫して主張していたりするんですよね。)

余計なことを書いてしまいましたが、今年も、2/22まで、ぜひよろしくお願いします。

みなさまよろしくお願いします。


ちょっとだけ鬱にまつわるエトセトラ プロ指導者のえらいお言葉など

最近少し時間があるので(というか求職中なので)読書していることが多いです。
プログラマっていうかIT職って鬱とか休職とかメンタル的に死ぬ人が多い世界なんだから(ブラック企業やブラック組織が多いとも言う・・かも。頭脳労働なのでなおさらメンタル的に死ぬというか・・)リフレッシュ期間とか特例として認めてくれないかなぁ。
心療内科にかかる保険料と企業が払う保険料と勘案したら、一ヶ月のリフレッシュ休暇の有無で相殺できる、とかなら、アリの様な気がしないでもなく。

具痴はさておき。

吉田康弘さんの「組織で生き残る選手 消える選手」という本を、読み中です。


著者はサッカーJリーグの鹿島・清水・広島などで活躍し、今は指導者として活躍しておられます。
ただ、私自身サッカーに疎いのもあって、ご尊名は存じ上げませんでした。でも、30才後半まで活躍という、Jリーガーの中では比較的長いキャリアを経験しておられたそうです。
しかし、たとえば三浦知良選手のように、華々しいキャリアを持っているわけでもなく、ご本人曰く「(日本)代表入りすらしていないのに」長いことJリーガーとして活躍してきた、その極意のような物を語っておられます。

読み中なので、読後感想はまだ・・じゃなくて。

書かれている内容はそんなに難しくない、でも継続して実践するのは根気がいるし難しいなぁというのはありますね(笑)
・・と、そういう批判めいたことを書きたいわけではなくてですね。

私自身、こういう勝負師の世界に生きる方の作品というと、以下のような方の作品を読んできました。

・大山康晴(故人・将棋棋士)
・羽生善治(将棋棋士)
・谷川浩治(将棋棋士)と古田敦也(元プロ野球選手・監督)の対談
・野村克也(プロ野球選手・監督)
・落合博満(プロ野球選手・監督)(敬称略、著書名は面倒なので省きました。ごめんなさい)

上記の方々の著述に加え、今読んでいる吉田氏の物にしても、共通しているのは

・書かれている内容はそんなに難しくない、でも継続して実践するのは根気がいるし難しいなぁ

なんですよね。まぁ、後者に関しては、それが出来たからみんな厳しい世界で一流と呼ばれる人物になったのですが、そのとっかかりの方は、全て「簡単なこと」というのが私が今回言いたいことの一つです。
落合氏などは「物事の極意は全てシンプルに尽きる」と言い切っていたように思います。


結局の所そうなんですけれど、何故か我々の仕事であったり、自分のメンタルの問題は、難しい方向に進むんですよね。

笑い事ではないのですけれど、難しい方向に物事が進み出したら危険信号、というのは、ソフトウェア工学の、というかハッカー・ギーク系では常識化しているのですけれど、私の身の回りのどぶ板IT・システム開発業界では、まだまだその認知は先の世界のようです。


「乙女戦争」のレビュー

昨日のレビューに続いて、2作目です。
近所にあるアニメイトで見つけた作品なんですが、元々はアニメイトで、森薫さんの「乙嫁物語(6)」を買いに行って、表紙が目に付いたので買ってみた作品です。
ちなみに、Amazonのいわゆるお勧め商品と言いますか、「これを買った人はこんなのも買っています」のところで、乙嫁のページを見ると、この「乙女戦争」もお勧めされます。大体客層がかぶるんでしょうなぁ(苦笑)




で、中身ですが、唐突に大文字で語りますが

タイトルが「乙女戦争」なのに、乙女じゃなくなるよ!(性的な意味で)

乙嫁の件でもそうなんですけれど、いわゆる「戦う女の子」物ですね。
この「戦う女の子」系統は
1.「トゥーム・レイダー」のララ・クロフトの様な「ムキムキマッチョのアマゾネス」系
  (ララ・クロフトを存じない方の為に、喩えとしてわかりやすく「なでしこジャパンの澤兄貴系」とします。「吉田沙保里兄貴系」でもいいです。イメージですよ。イメージ!)


2.ジャンヌ・ダルクのような可憐な乙女が非力ながらも必死に頑張る系
  (ジャンヌダルクが実際はどんな女性だったかわからないので、1と同じスポーツ界に喩えるなら「浅田真央系」「高梨沙羅系」とでもしておきます。これもイメージですよ!)


とあるようで、これは後者に属します。
(この分類をしていて、ちょっと気づいたことがあるので、別メモを書いてみたいと思います)



正直、表紙を見ただけでは「ジャンヌ・ダルクが主役?」と思ったのですが、違っていて、15世紀にボヘミア・ポーランド(現チェコ)で起きたフス戦争と呼ばれる宗教戦争を題材にした作品です。
(私も不勉強でフス戦争という言葉は知りませんでした。)

で、冒頭のいきなり「乙女じゃなくなるよ!」なんて書いちゃいましたけど、主人公の少女・シャールカは、

十字軍気取りのキリスト教騎士団に住んでいる村を襲われる。

村の人みんな捕まる

(シャールカ含め)女の子みんな騎士に陵辱される。シャールカ処女喪失。

陵辱された女の子はみんな死ぬ(シャールカだけ気絶だけで運良く生き残る)

暴行時の破瓜の気絶から目が覚めたら、村人がみんな吊り殺されていた

という、四球・四球・四球・満塁ホームランを浴びた阪神・岩田投手のような開幕スタートで始まります。
(岩田投手に対して悪意はありませんが、イメージです。イメージですよ!

そんな感じの開幕ダッシュなんですが、興味があるのは、そんないきなり絶体絶命な主人公を拾ったヤン・ジシュカという隻眼の傭兵隊長がいるのですが、この人、実在の人物なんですよね。
そのジシュカの部隊に参加して、シャールカは敵討ちの為に戦場に立つ、というのがストーリーの本筋です。

フス戦争において、歴史上のヤン・ジシュカは、フス派と呼ばれるプロテスタントの一部に味方し、十字軍や神聖ローマ帝国などの、外部からのカトリック勢力と争い、何度もカソリック勢力を追い払ったことで、ボヘミアの英雄として扱われている人物です。
この人物の注目すべき点は、そういう年表的な歴史での業績とは別に、西洋で本格的にマスケット銃、要するに鉄砲を実戦で用いたということで、この「乙女戦争」の作品の中でも、ジシュカがシャールカに「笛(ピーシュチャラ:ピストルの語源)を授ける」という台詞が印象的に描かれます。

この辺りは、日本の戦国時代「やあやあ我こそは」と名乗っていた武田軍の武士を、農民兵が鉄砲でバンバン倒していく「長篠の戦い」の織田信長のような人物を想像させます。

実際、信長とよく似て居るなぁと感じる部分が他にもあって、ヤン・ジシュカという人物も全く穏やかではなく、理想主義を貫くような正義漢ではなく、たとえばシャールカの可憐な容姿・神聖性を逆手に利用して、フス派の何も知らない盲信的な信者達を狂戦士に仕向けたりするシーンがあったりするなど、バンバンと汚い手を使うというような事もしていきます。

私は、こういうピカレスクは大好きなんです(笑)

余談ながら、枕で述べた「乙嫁物語」の乙女のアミルさんは、既婚者なんだけど未だに乙女のような気がしてならない・・性的な意味で。


「私という猫」のレビュー

少し暇が出来たので、しばし書き物を。

というわけで「私という猫」についてのレビューです。




二つ紹介していますが、上の「私という猫」が、巻数で言えば1巻、下の「私という猫 -呼び声-」と副題のついているものが、巻数で言えば2巻に相当します。

さて、世の中に猫を題材にした小説やマンガは、ご存じ夏目漱石を筆頭にたくさんありますが、この2篇と、そしてこれを書き上げたイシデ電という人は「凄い!」の一言しかありません。

猫を題材にした作品というのはどうしても猫を「かわいい物」という、人間から見た愛玩動物としての側面を描くことになります。なので必然的に「癒される」とか「ほっこりする」という印象になります。読んでて幸せな物になるというのが多いと思うんですよ(適当に主観で書いてます)

ところでこの「私という猫」については、これは猫が好きな人が読むと、大きく評価が分かれると思います。私のように圧倒されて息を呑んでしまうか、嫌悪感で燃やしたくなるか(笑)

内容をさらっとネタバレにならない程度に書きますと、「私」という自称で称される一匹のメス猫の視点で物語は描かれるのですが、「私」やその周辺の猫たちは、いわゆる野良猫として描かれています。
「私」は群れるのが嫌いだが、猫は群れていないと生きていけない。「私」も餌にありつくにも群れからつかず離れずマイペースで、時に面倒を起こしたり楽しんだりしながら、それでも飄々と生きていく様を描きます。
前巻のハイライトは、そんな群れの中で「ボス」と呼ばれる群れのボスの活躍と生き様が描かれます。
この巻については、ボスの人生(猫生?)とその周辺の野良猫たちの力強い生き様に、人間社会のそれを重ね合わせて共感して読むこともできるので、普通の人でも受け入れることは難しくないと思います。

圧巻なのは後巻に当たる「-呼び声-」篇です。
ボス亡きあとの群れたちは、次第に色々な形で野良猫としての凄惨な人生(猫生?)を送ることになります。
餌を十分に確保できずひっそりと死んでいく猫、人間に駆除されていく猫・・・。
主役の「私」もあるときに、自らのミスで人間に捕まり、人間に「害敵」としてある悲惨な目にあってしまう。。。

---

私が思うに、猫を心底愛している人は、この作品を好意的に受け入れられると思いますし、単に「猫好き」なだけの人は、えげつない作品という感情だけが残ると思います。一種のリトマス試験紙、猫好きに対する踏み絵的な作品です。

後半の「-呼び声-」篇は、特別に悲惨な表現はなく「現実はこうだよ」と提示しているだけなのに、どうしてここまで凄惨に感じるのか。私が感じるのは、人間社会も一皮むけば変わらないよ、と感じるからかも知れません。

この「私」の世界観では、野良猫だけではなくて、人間に飼われている猫も出てきて「飼われ」という形で少し蔑んだ表現で呼ばれたりもしているのですが「与えられるだけで何もしないで温々と餌がもらえる幸運」な猫たちが、他の猫を題材としたマンガや小説でキャッキャウフフと持て囃されて扱われているのならば、その戸板一枚めくると、野良猫たちの凄惨な生存競争が行われている、そういう姿を忘れるなよというメッセージのようなものを、私などは感じる次第です。

前巻はなかなか入手しづらいのですが、後巻だけでも楽しめる作品ですので、全然癒されない猫マンガ(笑)お勧めです。


おまけ
違う意味でホラーのようなギャグのような猫マンガ、伊藤潤二の「よん&むー」です。

犬派の岐阜県在住某漫画家J氏が、結婚して猫派の奥さんに押し切られて猫を飼い始めた時の実体験?のようです。
絵はホラー調ですが、中身はギャグですよ。お口直しにどうぞ。


あけましておめでとうございます。

2014年賀状



LEVEL3

竹島プロジェクトでイラストを拝借している名塚さんからちょっと融通していただいて、Perfumeのライブ「LEVEL3」に行ってきました。
Perfumeに関しては、CDとかテレビよりも圧倒的にライブで行ってナンボのアーティスト。演出もすごいのですが、あの3人での三位一体のダンスの完成度と、これを2時間半で十数曲こなすというところに(しかもぱっと見は細身の普通の女の子)凄さを感じた次第です。他にもビルで言えば5階くらいの高さはあるであろう奈落の上でハイヒールでキレキレで踊るんですから、見ている方がドキドキもんでした。


あとは歌とか踊りは別に、あ~ちゃんのお客さんを巻き込んだトークがハチャメチャで、ここの話術だけども大したもんだなーと思いました。
僕の師匠(?)のまっさんの話術は落語的だけど、あ~ちゃんのあれは明石家さんま型でも言うのかなぁ。お客さん相手に無茶ぶりしてみたり(いきなり観客全員にダンスの振付の指導をしてみたり)やりたい放題ですが、特に大阪はそういうのの「ノリ」はいいので、本人たちが一番満足していたんじゃないかと思ったりしています。


そして、京セラを満杯にするほどの人気を持ちながらも「うちらを見捨てんと、また次のライブしよるけん、きてよー」となんの衒いも無く語る、あの魅力がリピーターを呼ぶのでしょうね。
ほんとにほんとにほんとにほんとに腰が低い。

演歌歌手じゃないけれど「ポリリズム」でブレイクするまでも苦労期が伺えるようなトークもあったりして、本当にそう心から「いつまでも応援してねー」と思っているんだろう・・と感じます。


今ほどの人気はいつか翳る日は来るかも知れないけれど、芸能界からは消えないよ。絶対。行けるところまで行ってほしいよね。

LEVEL3_small




うつにまつわるエトセトラ?回目 tumblrを使っていて思ったことなど

tumblrを自分の情報収集ツールとして使い始めて、もう2~3年位なるのですが、なかなか中毒性が高いですね。
そんなことをいうのも今更なんですが、多くのリブログ職人が「身体が溶けるような感覚」ということを書いていたりするのですが、そういうのも体感としてわかります。なんと言いますか、自分の考える事なんて、圧倒的な集合知の前には自分の考える事なんて、大したことないじゃん、という大きな壁にぶち当たる感じなんですね。

これを前に乗り越えようとするか、溶け込もうとするか。
tumblrもブログサービスなので、普通にブログとして書いてしまえばいいんですが、どうしても多くの人は、自分の言いたいことを代弁している「誰か」の言説をリブログして、それでひとつ落ち着いてしまう。
僕のような本来ブログや、その昔はHTMLでタグ打ちで文章を書いたりしていたということから考えると、それまでメーカーだった会社が、輸入代行業者・セレクトショップに転身したようなもんだったりしますね。
実際、tumblrを初めて触った時の嫁さんの意見は「セレクトショップやな」なんですが、なかなか言い得て妙だなと思ったもんです。

ただブログ書きをそれまでしていた自分として非常に困ったのは、自分が何かを書こうとするとき、そのバイアスがかかっているのでは?という気持ちに襲われることです。
もっとも、いくら自分の意見なんてものを書いたところで、それまで昔やっていた新聞ネタを元にした政治ブログなんてものだって、ソースとして新聞やニュースや2ちゃんねるがあったのですから、そのソース先がtumblrになっただけじゃん、ってお話でもあるのですが、何かを書こうとするたびに、tumblrに操られている感覚になるんですよね。それってtumblrで見たじゃん?みたいな。それくらいの巨大なデータベースという感じです。

とはいうものの、それを言い出すと、何も書けないんだよなぁ(笑)結局自分の日常を綴るしかないのか?とか考えてしまったりするわけですが。

ここ最近は体調はイマイチで、先週あたりは2週間で4日しか出勤できないとか、社会人としてどうよ?状態でしたが、こういうことを考えていることも一因にありそうです。身体にいい媒体か否か?という点では、自分にとっては身体にはよくないのがtumblrというツールなんでしょうねぇ。

他にも書きたいことはありますが、時間が遅いので、今宵はここまでです。


10月になりました。。と言って、何か書くことがあるでもなく。

10月になったから、というわけでもありませんが、つらつらと書いてみます。

うちのブログというのは、昔から政治ネタだったり日々のネタだったり病気ネタだったり、写真だったり、まこと節操がないというか、一体何のためにやっているんだろうか?と思ったりもします。

ぶっちゃけ、竹島プロジェクトが無ければ続いていなかったかも知れないなーと思ってもいますが、そんなありきたりのこととは別に、たまーに発信してみたいという情報があるかも知れない!という窓口だったり、という感じですね。って何が言いたいのでしょうか。

最近の事に関して言えば、無理に何かをアウトプット以前に、この前半半年~9月中頃にかけては全くと言って良いほど何に関してもやる気も言う気も起きず、気がついたらオリンピックは決まってるわ消費税8%は決まってるわ、みたいな感じですね。
(その裏で「艦コレ」に夢中になっていたのは秘密として(笑))

でもとりあえずどういう方向に何かを書かねば、と思ったり。
8月の終わりに名古屋にふらふら電車に乗る旅行なんてものに行ったので、その時の写真でも編集しようかしら。


憲法記念日なので

せっかくの憲法記念日なので、この文章でも載せておこう。
引用元は、レトリックの香西秀信先生の「論理戦に勝つ技術」から

断言しても良い、現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠に来る筈はありません。第一に、「護憲派」を自称する人達が、現行憲法を信用してをらず、事実、守ってさへもゐない。大江(健三郎)氏は憶えてゐるでせう、座談会で私が、「あなたの護憲は第九条の完全武装蜂起だけでなく、憲法全体を擁護したいのか」と訊ねた時、氏は「然り」と答へた、続けて私が「では、あなたは天皇をあなた方の象徴と考へるか、さういふ風に行動するか」と反問したら、一寸考へ込んでから、「さうは考へられない」と答えた。記録ではその部分が抜けてをりますが、私はさう記憶してをります。或は氏が黙して答へなかつたので、それを否の意思表示と受け取つたのか、いづれにせよ改めて問ひ直しても恐らく氏の良心は否と答へるに違ひない。が、それでは言葉の真の意味における護憲にはなりません。

(福田恆存「当用憲法論」)



福田先生はもうすでに見切っておられたわけですね。護憲派というか、9条教というのが正しいですわね。


read me!

唐突にですが、学生の頃からご多分に漏れず英語が苦手で、今でも得意という気持ちはありません。
しかし、言葉はあくまで意思伝達のツールである、という考えから、英語圏の人と話をするのは身振り手振りのいい加減の英語でもコミュケーションを取るのはむしろ好きだったりします。
仕事でもいわゆる技術英語を用いるわけですが、コンピュータの世界はむしろ直訳で英語がそのまま業界用語的になっているので、そこはそんなに困らなかったりするわけです。

まぁそれは枕として。

最近は娘が家にいる間に教育テレビなんかを見る機会が多くて「おさるのジョージ」と「ひつじのショーン」という作品を視ていました。
どちらも海外作品で、セリフなどは日本語訳がしてあったりするのは英語の知識はいらないのですが(特に「ひつじのショーン」はクレイアニメで、いわゆる擬音でセリフを表現するというアニメなので、日本語すら出てこない)
この2つを比べて見ていると興味深い。

ぶっちゃけたところ自分の気持ちを書いてしまうと「おさるのジョージ」に出てくるのは主人公のおさるのジョージのほか、周りの人間のあまりのアホっぷりに、むしろイライラ感すら覚えてくるのですが「ひつじのショーン」はひつじでありながら実に人間的に振舞ったり、主役のショーン以外にも(数少ない人間である)牧場主とか、牧羊犬のピッツァーがあるときは主人に尻尾を振って羊を追い回すかとおもいきや、牧場主がいないときはショーンとつるんでサボってたりなど、こういう人間臭さが実に面白かったするんですね。

この両者の作品を考えると「おさるのジョージ」はあくまで幼児向けの教育、「ひつじのショーン」は大人でも楽しめるユーモアを含んでいることがわかってきたのですが、前者はアメリカの作品、後者はイギリスの作品なんですね。

これは僕の偏見なんですが、イギリス人ってのは、どうしても作品なりに、毒ではないにしてもスパイスを混ぜないと気がすまないといけない人種なのかなぁ・・・と思ってしまいます。実際「ひつじのショーン」に関しては、常に主人公めでたしめでたしにならず、ドラえもんで言えばのび太が秘密道具を悪用して自業自得に陥るオチがたまにありますが、そんなエピソードも出てきます。「おさるのジョージ」では見られないですね。

どうも私のなかではそんなイメージがあります。英国人という人種に対して。偏見なのかなぁ。

話は再び飛んで、自分の学生時代のお話になります。
学生時代から浪人時代、暇つぶしにナブコフの「ロリータ」を読んでロリコンに目覚めた私ですが(ぉぃ 英語の勉強も兼ねて「ふしぎの国のアリス(Alice's Adventure in Wonderland)」を英語版・日本語版の両方を買って翻訳の勉強をしていました。
確かに「不思議の国のアリス」は、ルイス・キャロルことドジスンさんが当時5歳くらいの姪っ子向けに書いた作品なので、難しい単語は出てこず、文法的には難しいことはないので、単に目の前の文章を直訳するだけなら特別難しいということはないのです。
ただこれは英語や数学の知識の基礎ができていないと、作品としての面白さがまったくわからない(笑)

それは当たり前ですね。いわゆる言葉遊びが作品の面白さを支える重要なポイントなので、例えば一つの言い回しが文脈によっていろんな意味を持つとか、そういうところは大学受験生ごときでは難しかった記憶があり、ようする訳せるけれど意味がわからない状態になってしまうんですね。
例えるなら、谷川俊太郎さんの児童向けの有名な詩「いるか」

 いるかいるか      いるかいないか
 いないかいるか     いないかいるか
 いないいないいるか   いるいるいるか
 いつならいるか     いっぱいいるか
 よるならいるか     ねているいるか
 またきてみるか     ゆめみているか

を英訳してどう面白いのか?というのを考えるとわかりやすいかもしれません。

そして、こういう時に関しては、自分が英語の成績があんまり良くないというのは損をしているかもしれないなーと思う瞬間であったりします。

その究極のところが、僕が大好きなSPAMネタを扱ったモンティ・パイソンのネタですね。
ランチョンミートの「SPAM」のCMがくどいというのをパロディにしたモンティ・パイソンのスケッチですが、転じてインターネット上で鬱陶しいメール「SPAMメール」の語源になったのは多くの方が周知の通り。


さてこのネタは単にしつこく連発SPAMという単語といきなり歌い出すバイキングたちの奇行だけでも、言葉の意味がわからなくても楽しめるのですが、この「SPAM」という単語が「スパム」ではなくて「スパーム」と長く発音しているのがこのスケッチの裏の楽しみ方で、スパームと発音すると「speam」という意味になり、この単語を踏まえて同じスケッチを見ると「Lovely speam!!」だの「腸につめるのがどうのこうの」だの「スカンジナビア半島の先端からバイキングが・・」とかトンデモな内容になってしまうというのがわかります。

正直なところ、これのこの面白さがわかったときはショックでした。「英語まじめにやれば良かった!」(笑)

モンティ・パイソンのメンバーのエリック・アイドルなんて人は、言葉遊びの天才(のハズ)なので、このあたりの英語のヒアリングが出来る人が聴くと、たくさん面白いネタがいっぱい隠れているんだろうなぁと思うとくやしさを感じることを思います。

ま、それだけなんですけどねっ!

ちなみにタイトルの「readme.txt」は、フリーソフトなどでお約束としてマニュアルの役割を果たすテキストファイルによく付けられる定番のファイル名ですが、わかりやすくいいですね。これははるか昔、パソコンのファイル名が(拡張子抜きで)半角8文字時代の名残だと思いますが、直訳すれば「私を読んで」ですから、まぁ意図を伝えるにはよくできたファイル名だと思います。

この「readme.txt」」の元ネタですが、これは「不思議の国のアリス」の「drink me!」を元にしたのかなぁ・・というのが私の推測ですが、PC業界には、この手の「英語文化圏での教養」ってのが試される時がありますね。。学問としての英語は別にして、教養としての英語は理解できるレベルにしておきたかった。まさにトホホです。


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佐倉純

Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなプログラマ。
日本の事を憂いてみたり、日々思ったことをまとめて、綴ったりしています。その合間に写真も撮っています。
時々子供のネタなんかも。

ぜひゆっくりご覧ください。


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