さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

うつにまつわるエトセトラ番外編 ~うつと「岡田斗司夫ひとり夜話」~ その5

長々書いてきましたが、これで最後です~。

以下のvoi.6(大阪、2/13)、voi.7(大阪、3/20)のお話は、おまけ的なお話になります。

ノート術の話で関心を持って他に得たものとしては、まずは「無理矢理でもやる」ということ。
継続は力ではないですが、続けることが大切です。

ただ、続けることが大切というのは、しんどくても続けるということではありません。しんどくなると、レベルを落として続ける、ということが大事かなと思います。毎日2ページを書く、と言っても、毎日毎日2ページアイデアが浮かぶわけでもないですが、書いてみようと努力することが大事、また、書けなくても、1行でも一言でも良いので、書くことが大切、そう思います。
うつ期における日記やメモも、本当の低迷期はともかく、少し元気な状態から、復帰に向けて浮上する時期においては、やはり「継続」というのを意識する方がいいと思います。
継続と言っても、先を見るというよりも、1日1日を愚直に生きていけば、気がついたら1ヶ月経っていた、という感覚ですね。

ついでこの時にも出てくるキーワードは、再びになりますが「共感」です。
このvol.6の時は、岡田さんは、今までのノート術の話で展開されてきたことをさらに一歩進めて「論理的な展開というのは、自分にとって論理的であればよく、世間から見て論理的である必要はない」というオレ理論でよいという風に言い切っています。

何かを主張する時には、自分にとっての「正しさ」を主張するというスタンス。これは正しいのではないかと思いますす。もちろん自分の「正しさ」と相手の「正しさ」が相反する存在であれば、議論になることもあります。

しかしながら(もっともここから先は、岡田さんのようなクリエイターの理屈なんですが)そもそも、何かを表現するという行為は、他人から見て「狂っている」「矛盾している」というポイントを追究し「人から見てずれている自分」の部分、そこを強く押し出すことにより、世界における自分の役割を定着させる、すなわち本当の意味でのオンリーワンの道が生まれてくることになります。これが自分が社会に存在する意義を意味することになるのではないか、と思います。

さらにそれを推し進めて、少し自分の中で安定してきたら、利己的な目標+社会的に(ちょっと)良いことをやって、社会に還元する・・・もっとも、この部分は、うつがどうこうというよりも、西洋のノーブレス・オブ・リュージュ的な考え方も入ってくるかも知れません。
これは健康になって仕事を全うできるようになったら考えることかなぁ。。。

この話を聞いていた頃の僕の状態というのは、だいたい普段の生活も安定していたというか、時折復職センターに出所できないときもありましたが、でも時々考え事をしても停滞したり、グルグル思考が回ってみたり、という感じでした。

そんな感じで、最後のvol.7を迎えることになります。

vol.7のひとり夜話では、壮大な社会実験として「会社を作る」という話になります。
(もっと言えば、岡田さんは「世界征服を目指す」と言っています)この「会社」の内容や概念は、今まで普通の経済社会における「会社」という概念(労働を行い、対価として給与その他の報酬を得る)からは大きく異なる団体になりますので、簡単に説明をするのは難しいです。
(興味がおありのかたはオタキングexなんかご覧ください・・です)
この話は僕のうつ話のメインにならないので、ここはちょっと端折ります。

なので必要な範囲で説明をしますと、今の時代というのは社会の大きな変革期にある、という話がここで出てきます。
歴史にならうなら、
・狩猟民族が農耕を覚えた時(第1の波)
・科学が発展を開始しはじめる19世紀の産業革命の時代(第2の波)
それらに続いて、今の時代は、科学万能の時代が終焉を迎え、コンピュータやネットワークの発達によって始まる情報革命の時代、すなわち「第3の波」という時代にある、と指摘します。(元ネタはアルビン・トフラーの「第3の波」です)


「第3の波」の時代になる少し前の、科学の終焉の時代についての話になります。

(第1の波の話・・とかちょっとメモするの忘れた)第2の波の時代、すなわち産業革命のスタートによる科学の時代になって、子供への教育が変わった、という話がここで出てきます。どういうことか?というと、昔の農業の時代であれば、子供の教育と言っても、農業生産できる子供がいればよかったので、自宅で親が生活に必要な知識を教えていれば良かったわけですが、産業革命の時代になると、子供への教育が変わってきます。
産業革命、すなわち工業化された社会になると、農民時代と異なり、大人は工場に出勤して仕事をしないといけないので、子供に教育を施す時間がなくなり、また、その子供も、農民時代と異なり、工業化社会に適した「工員」を生み出すための教育になります。日本で言えば、明治時代の富国強兵や義務教育的なものができた時代を当てはめるといいと思います。
この時代の教育の目的というのは「一定の能力をきっちりと継続的に発揮できる人材を作ること」でした。
工員ですからね。

その後、第二次大戦が終わると、ここで世界の潮流が、富国強兵から経済戦争の時代に移ります。
端的に言えば「儲けたモノ勝ち」ですね。
そういう時代になってくると、求められる人材というのは、上の「工員」から「儲けるのが上手い人」に変わってきます。日本が戦後経済成長できたのも、そこに長けていた、かも知れません。
しかし、今のようにリーマンショックのような事件や、日本のバブル後を見ると、どうも経済成長という考え方も、頭打ちに見えつつある。
そこへもって来てコンピュータの発達やネットの発展による、情報革命という波が起きつつある。

情報革命といえば、まさに今ここでブログを書いていること自体が、十分革命的と言えるでしょう。

昔は自分の意見や、文学作品を発表するとしても、出版のルートを持っていないと駄目でしたが、今はWebで簡単に作品を発表できますし、逆に読者も読むことができます。(昔も意欲的な人たちは、同人誌なんてものを作って活動していましたが……)

経済が頭打ち感があって、不景気から脱出できそうにもない、就職も大変、というのは、複合的要素もありますが、経済社会の終焉というのがあるのではないか?

じゃぁ今後どうなるのか?これが社会全体でなんとなく抱えている不安なのでは?
それが、今を幕末の時代に喩えて、たとえば江戸から明治に移行するとき、徳川幕府の人間は昨日までは正義だったのが、維新後に悪にされてしまう、そういう価値観の変化がくる時代はもう来つつあるのではないか?という話でした。

そこから先に、これからは評価主義の時代だ!会社を作るぜ!という話が出てくるんですが、そこは横においといて(笑)

----

ここからは僕自身のうつに関係する話をします。

そういう経済戦争の時代、そこには、科学の力を信じていた人たち、科学万能主義みたいな風潮があったと思います。
1970年は大阪万博は、その絶頂期を示す象徴だったと思います。

ひとり夜話vol.7の中でも、科学万能主義を夢見ていた人たちの時代(今から40年くらい前の時代でしょうか?)の夢が破れ去ったことを象徴する話が行われます。
この辺りは、SF好きの岡田さんの真骨頂と言えましょうか。
大昔、SF好きだった人は、SFの時代は、完全なフィクションではなかったはず。未来の乗り物も、ロボットも。そういうものがまだ信じられていた時代だと、科学というものが発達すると、人間の暮らしは便利になると信じられてた。

しかし実際どうなったかと言うと、しんどくなったことが多いのではないか?

僕自身も鉄道好きの観点で思うことですが、大昔、東京~大阪間を蒸気機関車で10時間くらいかかっていたのが、新幹線で3時間弱で移動できるようになると、昔は泊まり出張だったのが、今は日帰り出張になっただけで、全然楽になってません。
むしろ今は、新幹線の中にコンセントやネットまでくっつけて、移動中まで仕事をやらせようという有様です。
もう一つ余談ですが、ホンダの二足歩行するロボット「ASIMO」を見たとき、これがもっと機能があがって月20万でレンタルできるような値段になったら、多くの人は仕事なくなるんじゃなかろうか?そんなことを思います。

これが果たして人間にとっての進歩と言えるのかどうか?少なくとも、幸せなのかどうか?
技術職なんてやってますが、技術の進歩の行く末にあるものは一体なんなんだろうか?

自分自身は理工学系の学生だったにも関わらず、どうにもこうにもこの疑問だけは解けずにいます。

というよりも、小中学生の頃にコンピュータの世界に入ったころから、大学生になる頃までに「なんとなくぼんやりとした不安」というものが、自分の頭の中に浮かんではいたのかも知れません。それがネットの発達や、社会に出て、実社会での経験を経たところで、どんどん確信に近くなっていく恐怖、みたいなことを考えているのかも知れません。

その上で(僕のうつは環境など成長過程に拠るところもあるのですが)普通に仕事をしていて、ストレスを感じてしまうという人がいるならば、上に書いたように「社会の変革(経済主義の時代・科学万能の時代→情報革命の時代)の時代の犠牲者、あるいは、どうもこのままではやばいのでは?と敏感に気づいている人」ではないか?というのが僕の仮説です。(岡田斗司夫理論でいう「俺に言わせれば」という極論です(笑))

もちろんそう決めつけてしまって、思考停止して「社会が悪い!」と言って責任転嫁してしまったら、ただのだだっ子なのですが、いわゆる「ストレス社会」の原因を求めてしまうと、結果そうなってしまうのが僕の持論です。

では、大切なのは、どう変えるか?

卑近なレベルでは、まだまだ今まで通りの経済主義の社会がつきまとうでしょうけれど、10年先になると、どんな社会になっているかなんて僕は想像はつきません。

ですが受け身ではなく、積極的にモノを考えた方が面白いのかな、と思うわけです。
そのためのヒントは、まだまだこれからいろんな形で出てくるのかも知れませんし、本当に「FREE」の唱えるフリーミアムの社会が実現してしまうかも知れません。

フリーミアム社会で大切になってくるのは「お金で商品を買う」という時代よりは
「それ作ったら面白そうだから、オレも制作に参加する」というボランティアに近い形や、あるいは
「使ってみて面白かったから、お金払う」というファン精神的な「買い支える」形に近いもので、そこに必要になってくるのは、結局一番最初の話に出てくる「共感できるか?」というキーワードなんじゃないかなぁ、と。




……と、話が大きくなってしまいましたが、自分が感じている「うつ的なモノ」というのは、そういう変革期に見られる苦悩じゃないかな?と考えると、この病気にも意味があるのだという捉え方もできてきます。
というか、そうでも思わないとやってられません(笑)

「ひとり夜話 vol.7」の中での岡田さんも、変革期には多少の犠牲者が出る、ということを述べています。大げさに言えば、幕末の変革期に日本も大混乱に陥ってますが、そんな状態かも知れません。目に見えて秩序が保たれているだけで。
もっと言えば、それが今は個々人の問題にされているだけだ、なんて言ってみたりして。


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おまけ

岡田さんが話の中で述べていたのですが、
「就活だと、上位3%程度が好きなところに就職し、80%が苦労をし、残りは就職すら認められない」
「恋愛だと、上位3%程度が死ぬほどモテる、80%が非モテ、残りは恋愛すら拒否」
そんな時代よりは
「希望する人の60~70%が、ほぼ幸福になる社会」
が岡田理論の「健全な社会」らしいです。
(ベンサムの「最大多数の最大幸福」の発想に近いのかな?)

今の社会って、健全とは思えないなぁ・・・と思う人がいたら、ぜひ参考にいただきたいところです。


おきてがみ

▽コメント

 

なんでも継続が大切って、なんだかしみじみ思ったよ~。
しかし、上位3%しかモテモテじゃないって、なかなか厳しいのねw

 

>kotokoさん
こちらではおひさしぶりです。
コメントありがとうございます。

地味なことでも、継続は力なりというか、継続は大切ですね~。
できなかったら、レベルを落としてでも、とにかく続けることを優先する。

ほんと、大切ですよ。

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日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなエンジニア。
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