さくらのみや日記

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おきてがみ

うつにまつわるエトセトラ番外編 ~うつと「岡田斗司夫ひとり夜話」~ その4

少し間が開きましたが、続き。

僕が参加した4回目になるのは、年があけて2010年になってすぐの1/9大阪のvol.5。

話の導入では、面白いブログの書き方、みたいなお話でした。
「自分の持ちパターン」を早く作る、という感じのお話で、まぁ病気のこととは別に、このブログの話というのは、表現という点で参考になりました。

病気であろうがなかろうが、ブログというのは基本的に感情の発露なので、上手く書こう、とか、綺麗にまとめよう、とか、小賢しいことを考える以前に、自分の語りたい事、感情をどう持ち込むか、という視点が大事ですよね。

昔、政治ネタブログをやっていた頃のことから思うことですが、正論だけなら少し考えれば吐ける。でも、それだけじゃ読み手は面白くないわけで、面白くするなら、その中に自分だけの拘りのある偏り・無茶な意見をあえて入れることも大事だと思うわけです。その「偏り」という状態を恐れてはいけない。むしろその偏りこそ、真の意味での「個性」として残るというわけです。

まぁこの辺りはブログの話ですけれど、フレームを拡大して考えると、人生そのものにも適用できますね。他人に迷惑をかけないのなら、自分の「偏り」というのは「個性」と言う言い方もできます。

案外この個性というのもやっかいなもので、自分は面白いと思っていなかったり、しょーもなと思っていることが、他人には個性的に写ったり、希有な才能に見えるという場合もありますので、まずはアウトプットをしてみて、他の人に意見をもらうというのは大切かも知れません。

そうそう、で、そのフレームという言葉についても述べてみます。
フレームというのは、写真のフレームや、カメラのフレームワークなんて言葉でも使われるように、日本語で言えば「枠」ですね。

物を考えるという場合においては、フレームというのは、思考の枠、すなわち、物を考えるときの思考の枠組み、物の捉え方という言い方もできると思います。

「ひとり夜話」の中では、このフレームの話について、映画のシーンをモチーフに紹介していました。
たとえば、映画の一シーンがあったとして、そのフレームを小さくしていけば、そこに写っている人や物があり、さらに小さくしていけば、出ている俳優の表情や服、さらには服の柄や素材・・・という感じで、同じ場面でも細かく拘りを持ってみていくことができる。逆に、映画の一シーンから、フレームを大きく取れば、セットがあり、カメラやマイクなどの機材がある。もっと大きく取れば、それをカメラマンの他にスタッフがおり、指示を出す監督がおり、技術や技術のスタッフがいる。もっともっと大きな目で見れば、その映画のスポンサーをしている人たちをも想像できる。

こういう風に、一つの事象について、フレームを大きくしたり小さくしたりして見る、ということができます。
映画の話だけではないですが、普通の人生における一場面でも使えますし、いくらでも応用の利く話です。

再びうつの話に戻りますが、僕自身の経験で言えば、このフレームの拡大・縮小の話は「自分の視野」という言葉で置き換えて考えてみました。
するとわかるのは、自分の心の調子が良くないときは、このフレーム(視野)が完全に固定されてしまいます(小さくなってしまう、というわけではない)。柔軟性を失うんですね。たとえば、仕事で苦しくなってもう駄目だ、という時には、仕事やめないと、みたいなフレームで固定されてしまう。柔軟に考えるならば、フレームを小さく考えれば、仕事を細分化してできることからやっていくとか、フレームを大きく考えるならば、人生に仕事はそれしかないわけじゃない、などいろいろ考えられるはずですが、それができなくなってしまう。まさに「固定化されてしまう」という状態になります。

ということは、逆に考えると、フレームの可動域が大きいか小さいか、というのは、僕に取っては体調や気分の良・悪とリンクしているということになります。
一つの物事の見方として、自分の中で思考実験をして、アイデアが良い物・くだらない物がいろいろ数多く出てくる時というのは、そういうフレームの可動域が大きい時で、すなわち体調が良いとき、逆にあんまり思い浮かばない時は、体調が悪いとき、ということです。
そんなに難しいことじゃなくても「精神的に追い込まれると視野が狭くなる」という状態は、うつ病になると経験することが多いと思いますが、この「フレームを大きくしたり小さくしたりできるか?」というのは、自分の気分をはかるのにはとてもいいのでないかと思います。普段から自分自身で認知療法をやっておくようなものですね。

上の話の応用ですが、頭の引き出しというのも同じようなことが言えると思うんですね。
多くの人が、自分の過去の経験談などを記憶している「頭の引き出し」を持っている、と思うんですが、どうしても心が冴えない、頭が冴えない時は、この「頭の引き出し」が錆び付いているのではないか?と思います。
頭の引き出しというのは、しょっちゅう出し入れをする、すなわち、他人と話したり、他人から聞いたり、あるいは思い出したりすることで「頭の引き出し」というのは動くようになっていくと思うので、この引き出しについては、動かせば動かすほど、使える引き出しは増えると思いますので、そういう意味でも、会話やコミュニケーションはとても大事なことなのかも知れません。

次が最後ね。


おきてがみ

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