さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

うつにまつわるエトセトラ番外編 ~うつと「岡田斗司夫ひとり夜話」~ その1

時折ブログで「うつにまつわるエトセトラ」という形で、自分のうつとその復調・変調および、その際に思ったことを書いています。

本来、他の人のうつ闘病記ブログなどを見ると、毎日の自分の調子や思ったことを書き綴っていくというのがいいのかもしれない。が、自分の場合は復職センターに行って本を読んで、ついでにtumblrまで手を出していると、そこまで行くまでに一日が終わってしまうという感じで、ぶっちゃけまとまった文章を書くのが面倒くせぇ、という感じになってしまってまして(笑)

そんなこんなで、長いこと書こうと思いながらまとまっていなかった、自分のうつと「岡田斗司夫ひとり夜話」の話をまとめておこうと思います。自分の病状と、ひとり夜話の話を平行して書いていこうと思います。もうすぐ復職の準備で忙しくなることですし。

その当時の自分の病状は、週に4日、復職センターに行くのがやっと、という感じで、仮に出所した(仮出所・・)としても、10時~15時でパソコンで作業、という状態でした。

「まだまだ仕事できる身体には遠いなぁ」というのがそのときの正直な実感!

それでも、行くことでいろんな人と話をすることで、休職時に一人で自宅に籠もっているよりは、外に出て話を聞いたら、それに刺激を受ける→そして自分の考えを再構築→それを他の人と共有、という循環もあって、人と話をすることは苦痛ではない時期でありました。
特に認知療法なんかで、人の話の受け止め方、みたいなものを考えていた時期でもあります。そんな時期に、だっしーさんから「ひとり夜話 vol.2」のお話を受けました。

だっしーさんに聞いたところでは、なんでも、GyaO時代から聞いていたラジオ番組がイベント形式になったもので、その後のイベント「ひとり夜話 vol.1」を行ったら面白かったらしくて「こんな面白いものは、純さんを誘って布教せねばならない!」と、理屈民族としての電波を受信してしまったのが、僕を勧誘した経緯のようです。

そんなわけで、僕が参加したのは、10/16大阪でのvol.2から、ということになります。

vol.2のお話の中で、表面的に面白かったのは、やはりお台場ガンダムの話でした。
ガンダムに限らず、ディズニーなどを宗教と擬して語るのはよくあると思います。ガンダム好きも宗教の一種でしょう。関西に住んでいる僕からすれば、阪神タイガースも(多くの)関西人の心の支えという観点では宗教の一種だと思いますし、実際そんなエントリを(昔の)ブログで書いたこともあります。

しかしガンダム好きを仏教に喩えた後に、その中でも大乗と小乗がある!という、そこまで突くか!という意味ではかなりノックアウトされました。ガンダムが好きで好きで好きすぎる人ほど、ファーストしか認めない!とか、そういう苦悶を抱えて、一生かかっての修行になり、それこそが解脱への道につながる。

この奥深い解説に納得してゲラゲラ笑いながら聞いていましたが、そんな話はさておき。

このvol.2の中で大きく感銘を受けたのは、ロジカルシンキングなんて言葉が洒落臭い、論理的思考を宿命づけられている「理屈民族」にとっての幸福とは何か?という話になったところです。

これまでの自分の中では、論理的思考を追究することのゴールは「正論を吐くこと」「真理に到達すること」と思っていたんですが、「ひとり夜話」の中で、岡田さんは「理屈をこねることができる頭の良さを利用して、聞き手の『共感』を得ること」と述べられました。
僕としてはこれはかなり衝撃でした。そうか、正論を吐いても「受け入れられないと意味がないんだ!」と。

これはたいしたことを言っていないのかも知れませんが、この「共感を得る」という視線は、それこそこの言葉自体が自分の中で「共感した!」という感じでした。そうするといろいろ見えてくるものがあります。

自分が社会で生きにくいと感じる場面があるとしたら、その「共感」を今まで考えずに生きてきたからではないか?あるいは、正論を吐けば、共感してもらえるだろう、という空気があったからではないか?特にネットの世界だと、ネットで言論ブログをやっていた経験からも、尚更のこと「正論」に拘り、結果として自分が生きづらいと思っていたのではなかろうか・・?

他人と話をする時に「正しいことを言う」から「共感してもらえることを話す」「共感してもらえる話し方を考える」。
このパラダイムシフトは病気からの立ち直りを考えるときに役に立ちました。

うつ病の書籍を読むと、コミュニケーションの問題が話題になることがあります。
少し専門的な表現だと、アサーションという名称で説明をされてまして、適切な日本語に訳すのが難しいですが、強いて訳語を作るなら「自他配慮」辺りでしょうか。

自分の言いたいことだけを主張し、相手の言い分を聞かないのを「アグレッシブ」、相手の主張を一方的に飲み、自分の主張を飲み込んでしまう「ノンアサーティブ」として、アグレッシブ、ノンアサーティブ共に、アサーションの観点からはいずれも問題ありとされます。(特にうつの人は、自己主張を抑える(=ノンアサーティブ)ことで「いい人」を演じるという傾向があり、自己主張を抑えることは、ストレスの原因になるので、メンタル的に潰れやすいということですね)

僕自身については、ノンアサーティブとアグレッシブの両極端な部分がありました。

前者のノンアサーティブな面については、ブログをあんまり書かないとか、そういう形で出ていると思ってください(笑)しょこたんみたいな真似はできんなぁ。
後者のアグレッシブな面について、ですが、議論や理屈に通じるということがそれまでの「正しいことを言う」という解釈による言い方だと、うつの人と話をする時に、きつめ(アグレッシブ)な受け取り方をされるので、どうしても、アサーティブなやりとりというのを、復職センターでは推奨されることになります。
この言葉は、ここで暮らすときにはキーワードになりますね。

では、アサーティブとは何か、と考えると「あ、そうか、岡田さんが言うところの『共感』と同じやん!」となるわけです。

そして、ここで示唆されていることは、

1.理屈は話す技法によっては、同じ内容で相手を説得もできるし、反発させることもできる、ということ。
2.人間の感情というのは文章の内容とは切り離して考えることができる、ということ。

の2点です。

正論というのは、どや顔をして「この理屈の正しさを知れ!」という言い方もあるんですが、表現の仕方によって「この考え方ってどうよ?」という、自分の意志を提示し、それに相手の意志との共有を図る、というのが「正論」の正しい使い方に気がついた、というべきでしょうか。
そしてコミュニケーションにおける成功(説得できたという状態)は「共感をしてもらう」ということです。

もっと論を進めれば、自分の話したい意図・気持ちが正確に伝われば、言葉による表現、巧拙は重要な問題じゃないという考え方もできます。多少文章に無理があっても、勢いで圧倒して自分の主張が伝わる文章!こっちの方が、共感させれば勝ち。これは、うつで休職中におけるコミュニケーションを考える上で、非常に重要でした。


というわけで、今回はここまで。
第2回以降に続きます。

おきてがみ

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