痛い奴は痛い事件を起こす・・か?
加藤容疑者、卒業文集で「ひねくれ者」
こういうのって思うんだけど、さも立派に「この犯罪を犯した奴は、文集でこんな痛い事書いてたで」ということを主張する人がいるんだけど、こういうのってどれくらい果たして社会の役に立っているんだろう? 確かに「痛い事件を起こす奴は、学生時代も痛かった」とは言えるのかもしれないけれど、その逆、すなわち「痛い文章を書く奴は、痛い事件を起こす」という事は必ずしも言えないわけで。 再三こういうサンプリングみたいなものを採っているのなら、いい加減、学生時代の卒業文集とやらが出たときに「この人物の書いた文章を見るに、どうもこいつは将来やばそうだ」とでも理由をつけて、どんどん収監していくまで確定できないと、意味のない学問じゃなかろうか?と時々思わなくもなく(極論なのは承知なのですが)せめて、卒業文集とやらはほぼ全般検閲して「頼むから犯罪だけはするなよ」と教師が生徒に最後の指導くらいしてやれよ、と考えないでもない。 ---- そういえば、僕の高校時代の卒業文集には、そこでかなりキレた文章を書いた○○君というのがいるのだが(しかも複数人)、彼(ら)は犯罪をいつか犯さないか、いつも不安になるなぁ。 今は音信不通なのだが、テレビや新聞で彼の名前を見ないことだけは、切に願ったりもするのだが・・。 |
▽コメントコメントの投稿 |
▽トラックバックhttp://sakurasakurasakura3.blog53.fc2.com/tb.php/452-f58a6604 |





