上善如水
リハビリ(何のリハビリ?)も兼ねて久しぶりに自分のブックマークに載ってるブログ(およびその周り)を散策してみた。
いろいろ読んでいても勉強になったりそうでなかったりだけど、とりわけ雪斎さんの随想録に載ってる 「養成」の衰退 は非常に面白かった。
という点はブログ書きとしては確かに痛いところではありますね。私も自分自身の事という点でもそうですが、それ以前に「保守気取り」のブログ書きのアホレベルに、雪斎さんも正直嫌気がさしているんでしょうなぁ。 (まぁ私の持論は「表現活動はおしなべて「せんずり」」ですが) 私もそのアホレベルのうちに入ってしまう部分があるのですが、ブログの書き手であると同時に読み手である身としては、粗製濫造されている自称保守ブログは見てて痛々しくもあります。 (例は特に挙げませんが、あえて左ではなく右をあげるなら、izaのブログは自称保守オナニストの巣窟になってますねw) そうそう、雪斎さんと言えば、産経新聞に8月15日に載っていた正論の文章が面白かった↓ 特にこの辺は秀逸だと思う。
そうなんですよね。これは少し前から漠然と僕が思っていたことを指摘してくれています。 つまり、極左と極右は同根。 (自分自身にもそういう時期を経て今があるということを先に告白することにしますが)僕の目から見て非常に気になる「自称保守」や「自称憂国」の輩に見る危うさってのは、極左や朝鮮人や中国人にも見られるような、声高で拳を振るって熱弁を振るうような、昔の打倒帝国主義とか言いながらゲバ棒持ってる共産主義者かオノレは、と思いたくような人が見受けられることです。 本当に保守と呼ばれる人種は、もっと穏やかで自信があるものなんじゃないかなぁ?という風に最近感じるようになりました。だって、保守ってのは、結局の所「太古の昔からずっと生き残ってきた文化」を信じている層だと思うので、そういうのって、少しのことではびくともしないと思うんですよね。 例として、8月にネタになる靖国ネタなんてもの、あんなものは軍国主義だ、とか、英霊が、とかやったところで、一言「結局は「鰯の頭も信心」でしょ?」と言われたら、それで終わる話なんですよね。 保守派と呼ばれる人は、そうやって長く自然とに醸成された「叡智」を信じていればいいんだと思います。 そういう人は自然に達観して、穏やかになりますよ、って、それは結局の所「強く辛辣な言辞は論拠の弱さを示唆する」というユゴーのつぶやきに回帰するわけか・・。 ---- こういう喩えが適切かどうかわかりませんが、「上善如水」が真理の老子のようなというか・・激しい孟子だったり孔子だったり、口角泡を飛ばす、みたいなのは自分の柄には合わないなぁ。 どうでもいいけれど「上善如水」が一発で変換できないうちのATOK2008は頭が悪すぎだと思う。 |
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