さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

やられたら、やり返せ

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら

 イジメ自殺が社会問題となっている。新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。イジメに苦しむ少年少女よ、あんなものが何の役にも立たないことは、君たち自身が一番良く知っている。唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっているではないか。
 実はイジメ自殺は何年かごとに社会問題となり、そのたびに真実の声が良識という名の愚論によって圧殺されてきたのだ。十一年前にもイジメ自殺が相次ぎ「少年ジャンプ」が悲痛な叫びを特集連載した。それをまとめた『いじめレポート』(集英社)にこんな声がある。「徹底的に体を鍛えた。復讐(ふくしゅう)のために…。やられる前にやれ!」(A男)。A君は拳法、柔道で「歩く凶器」となり、イジメを粉砕した。睡眠薬自殺未遂のC子さんは、死を思う気持ちよりも「憎しみの方が強くなった」「私もガンガン殴り返す」「女でもやるときはやるんだ!」。別の女児もこう言う。「どうしても死ぬっていうんなら、いじめた奴に復讐してからにしなよ」
 学校では報復・復讐は道徳的な悪だと教える。しかし、それは嘘だ。人間が本来的に持っている復讐権を近代国家が独占したに過ぎない。大学で法制史を学べばすぐわかる。復讐は道徳的には正しいのだ。現に、ロシヤに抑圧され続けたチェチェン人は果敢に復讐をしているではないか。
 被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ。少年法が君たちを守ってくれるから。(評論家・呉智英)




これが呉智英氏が書いたとかそういう予備知識はともかく、実に正論でした。
でもこれが載っているiza!のブログでのコメントは、割合みんな優等生発言というか、こういう発言には拒否反応を示すみたいですなー。
これじゃ核兵器を持つか持たざるべきか議論で、議論すべきじゃない!とびくついている輩と大して変わらん。

わたしゃ小中高のいずれもの世代で何かしらのいじめというか嫌がらせだったり変な言いがかりをつけられたりしたので、実感として思うのだが、呉氏の言うことに異論はない。いじめの世界なんて大人が言葉を飾って「いじめはいけません!」なんて言葉で止まる世界ではない。ましてや小中学生にはなおのことだろう。

小学校の時自分の体験で言えば、先生がどうこう言っても止まらなかった。私の時は、自分がキレて終わらせたのを覚えている。
喧嘩になったとき、私の場合、コンパスの針で相手の手を狙い、自分の座っている椅子で相手を殴り、縦笛で頭をがんがん殴りつけた。確かそんなのだった。流血沙汰になる前に先生に止められたが、相手が鼻水を出して泣き叫んでいたのを思い出す。そんなことがあるまで、クラスでいじめがあるってことを、他のクラスメートは知らなかったのが実際だった。
そんなことがあって「あいつはキレさせると怖い」という事を広めることができて、やっとそいつにいじめられなくなった。

究極的には「弱い奴はいじめられる」弱肉強食の世界なのだから、自分がいじめられない為には、最終的には「弱みを見せないこと」に尽きる。

どうも今までそういういじめの世界に接したことのない優等生でボンボンでお嬢ちゃま・お坊ちゃまな人たちから見ると、最後の
「少年法が君たちを守ってくれるから」
というフレーズが暴論に聞こえるみたいだけれど、これを現行の少年法に対する皮肉とわからないアホは、この文章読んだらダメだろう、という気がする。

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もっと言えば、そういう「煽り」という計算をした上で、呉氏がこれを書いた意味をもっと深く逡巡すべきだろう。

昔から、いじめで自殺する子供に「死んだらダメだ!」という大人はいる。言いたくなる気持ちはわかる。
私だっていじめが原因で自殺は何度も考えた。それでも今なお生きているのは、大人がいう「死んだらダメ」だったから生きているわけではない。
単に「死ぬ恐怖」が「いじめの辛さ」に勝っただけの事に過ぎない。
だからそのバランスが逆転していれば、多分私は自殺していただろう。

そういう状況に追い込まれた子供に対して「死んだらダメだ!」なんて言葉はどれほどの重さを持つかを真剣に考えてみたことがあるだろうか?
子供のいじめによる自殺なんて、昨日今日の問題じゃないはず。何十年も問題視されてきたはず。だから、今まで通り、通り一辺倒のセリフでは、絶対にいじめによる自殺はなくならないと断言してもよい。

「あなたが死んだら悲しむ人もいるのよ!」→そんなのその人の都合やん。その人のエゴやん。俺の気持ちわかってないやん。
「生きているといいこともあるのよ!」→そんな保証どこにあるの?一生いじめられたままだったとして、いいこと無かったとしたら、お前責任取れるんかよ。
「親から貰った命なのよ!粗末にしたらダメ!」→そんなこと言うのは、俺じゃなくて、俺の命を粗末にするようないじめをする奴に言えよ。

少なくとも辛さを通過した大人から見たら、子供の辛さなんてほんの些細なことかも知れない。くだらない悩みかも知れない。命を賭けるなんて馬鹿げている事かも知れない。

確かに周りの人間からしたら、そういう「大人の理屈」を言って説得しているつもりかも知れないけれど、それとて所詮は大人達の自己満足の世界かも知れん。

そんな子供が自分の命を賭けるほど真剣に悩んでいるのに、大人はどれほど自分の命を賭けて、言葉をかけているのだろうか?
例えば、ビルの屋上から今まさに飛び降り自殺しようとする子供を説得しようとしていたら、その子供と自分を紐で括り付けて、死なばもろとも、くらいの気概を見せないと、相手に響く言葉というのは出ないと思う。


人間なんて本能では「生きたい」と願っているのだから、その生存の気持ちを通り越して自殺に向かわせるというのは、すでに狂気の世界なのだから、まともな常識論なんてので語っても無意味だと私は思う。
ここまで行くと人間の世界じゃなくて、動物の世界、獣の世界に等しい。

そういう根本から考えないと、いじめによる自殺の根治なんて無理じゃないなかろうか。

その観点からみて、呉氏が出した文章は、一つの処方箋だと思う。
・いじめられて自殺すること
・いじめられた相手を殺すくらいの覚悟で立ち向かい生きること。
で考えた場合、どちらの方が当人の人生には幸せか?
人間ではなく、生物として、どちらが正しいか?

座して滅ぶを待つよりは、出でて活路を求めん、という言葉の通り、やられるくらいなら、やれ、というのも一つの解法と考えるべきだろう。
我が身我が事として考えてないと、解決なんてほど遠いと思う。

自分が子供の親で、子供がいじめられていると知ったら、やはり呉氏と同じような事を言うしかないと思うね。

うちの親父も同じ事言ってた。やられたらやり返せ、と。
だから私はこうして、今でも生きていられるわけだし。

おきてがみ

▽コメント

 激しく同感です

私はいじめられていた訳じゃあないですが、一般的にいじめている人を個人的にいじめていたかもしれません。
いじめていたというよりも、しばいていたというほうが合っているかもしれませんです。
別に暴力どうこうではなく、そういういじめているところを見るのが嫌で、かなりうざく思っていました。それが単純に嫌で、勝手な感覚で行動していたところがあります。

でも私のような変人は少なくなったのかもしれないですね。

仕事以外適当な人間ですから、私(爆)。

 

いじめは難しい問題ですね
かつあげのように金銭を巻き上げるとか暴力を振るうタイプのいじめには確かにやりかえすのは効果的だと思います。こういった行為は主犯がはっきりしているタイプの虐めであるため仕返す対象がわかりやすいからです。ただ、問題は規模が大きくなり、クラス全体で無視されたりといった陰湿なものへと発展した時のことではないかと思います。この場合は、じわじわと精神的に追い詰められるものですから、周囲にも気づかれにくい上に決定的なことがないため、どうすればいいのか分からず心を強く持ち続けることが出来なければ、話題にも上らない自殺に至ってしまうケースがあるのではと思います。

私の叔母がそういった虐めにあったらしいですが、結局そのまま過ごして屈していなかったら、いつのまにかやんでたみたいです。こういった場合はどうするのが一番なのでしょう?

 

いじめられた経験がありますが、基本的にいじめる人というのは単に楽しいから気晴らしにやってるだけで、そこには何のリスクも想定してません。
つまり、殆どの人はわずかにでもそこにリスクが発生したら、それを犯してまでいじめを続ける人は居ないと思います。
だから、案外と昔は勇気を持って先生に相談して先生からいじめっ子になにか言ってもらえれば、大抵はぴたっと止んだものです。告げ口をしたからと報復されることもありますが、それもその都度全て報告してその都度先生から怒ってもらえばそのうちいじめっ子も自分の立場が悪くなるので、あきらめたものです。
ただ、最近は先生の権威が失墜しきっているというか、先生が怒ったところで子供は言うことを聞かないし、怒ることを怖がっている先生も多い有様。大抵は子供から相談があっても黙殺してるようです。
となると、やはり公的手段に訴えるのが一番だと思いますよ。今は。
判りやすく言えば、その子の親を民事で訴えるわけですが。
流石の馬鹿親も賠償金をたんまり取られれば、目が覚めますから。

 

>テツさん
意外にやられた側は覚えているもんですよ。
別にどうこうしようというわけじゃないですが、私は自分をいじめた奴の顔と名前は多分生涯忘れやしませんよ(笑)

> エコ さん
大人のいじめと子供のいじめは違いますからなんともですが、私の場合は小学生の頃の話ですが、周りが気づいていなかったので、それをアピールする意味でも、本文で書いたようなことは派手に立ち回りした記憶があります。
高校生の頃になったら、口で反論するようになったりスルーしたり、ある一線を越えたらキレてやろうという計算で動いてました。大人になってからは丸くなったり、やり返す術を学んだりしましたが(苦笑)

>いわしさん
今は学校の先生がダメダメだからダメですね。そういう意味では、昔の先生というのはたとえムチをふるってでも、大人の世界の秩序を子供に馴染ませるという意味でも、力があったように思いました。もっとも僕の場合、先生が気づいてくれない→自分でやるしかない、てな流れもありましたけれど。
裁判に訴えるにしても、それで勝てばいいですが、負けた時に本当に救いがなくなりますし、たとえ裁判に勝っても、環境が変わったりした場合(例えば小学校→中学校→高校など)、またいじめられる場合もあるわけで、根本的な解決になるのか?というのは疑問です。毎回裁判を起こすわけにもいきませんでしょうし。
いじめにはリスクを伴う、というのを相手に植え付けるのは賛成です。呉氏の文章は、その方法のうちの1つを提示しているのだと、私は思います。

 難しい問題だ

 自分のブログでも何回か話題として書いているんですが、緊急の特効薬としては闘うしかないと思うんです。本人が闘う、友人が闘う、親が闘う。この三つだと思います。
 私は、親父に「喧嘩はしても良い。しかし負けるな勝つまでやれ。弱いものいじめはするな。」の教え守り、小中学といじめっ子と闘う正義の味方でした。そんな昔ながらのカッコつけでけんかは弱くなかったんですが、中学の時に不良グループが一人の少年をいじめるのを止めさせるときは正直自分がやられるリスクを負ってまで助けるのはキツイと思ったことがありました。それでも好きな女の子に「助けてあげてよ」っていわれれば、いくしかなかったですね。まあ、幸い派手な喧嘩にもならずにらみ合いだけでいじめは止めましたけどね。(その時は、正義の味方はしんどいと思いましたね)
 一番良いのが本人が闘うことであろう。
 私個人的には、いじめられっ子を助ける人間がいないことが問題に思っています。弱い人間をいじめている助ける人間もいない学校救いようがないと思います。
 確かにカッコつけ野郎とか言われたり、偽善者みたいな扱いを受けることもある。実はいじめられっ子が闘うより勇気がいるかもしれない。そういう人間を学校には育てる教育をして欲しい気がしてる。
 ただ、陰湿ないじめというものが、理解出来ないのでその解決策にいまいち自信がない。多分中心人物がいるのでそいつを叩くんだろうけど。
 あと、いじめはどんな内容でも基本的には暴力であるから、緊急の対応策としては
暴力での対抗しかない。警察、学校が暴力を行使しなければ、本人が暴力で闘うしかない。いじめという問題が起こった時点で話して諭すという教育は、破綻していることを認識すべきである。
 いろいろ書きましたが、個々の例で色々だろうから最善はわからないけど、誰かが闘わないと何も変わらない。 

 お久しぶりですm(_ _)m

いじめの問題は難しいですね。私も自殺しようと思ったことがあります。
ただその頃のことを思い起こすと、どうしてか自分は死ななければいけないと思いつめていたような記憶があります。
多分ノイローゼみたいな状態になっていたのでしょう。
そんな状態の人に何を言ってもムダです。
いじめが解決されなければ、そのまま死んでいたかもしれないと今でも思います。
自殺をする前に親に話すなんてこと、子供はするはずがありませんから、親が気付かなければどうにもならない気がします。
子供が自殺してから被害者のような顔をする親は、その時子供が死ななくてもいずれその子供は死ぬ運命なのではないでしょうか。
気付いてあげられなくてごめんね、ではなく、学校が悪い、いじめた子が悪いと責任転嫁する親はその時点で親としての責務を果たしていません。
子供の面倒をしっかり見ている親なら、子供のちょっとした変化に気付くはずです。
ただ、自分が親になった時もしも自分の子供がいじめられていた場合気付くかどうかの保証はできませんが(汗

長々とすいませんでした。
「あの国で、暮らしてた。」は閉鎖することにしましたので、そのご報告に上がりました。お手数ですが、リンクを外していただけると幸いです。
HPはずっと続けていきますので、これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

 

珍右翼コラムニストの釣りにマジ反応乙ですw

 

こんな僻地にまで巡回お疲れ様です。

 

不慣れなものでトラバを何回も送ってしまいました。
申し訳ございません<(_ _)>

 復讐も、やりすぎてはいけません

だいぶ昔の記事のようですが、コメントさせていただきます。
私も昔、いじめにあったことがありました。
でも、私は根っからの負けず嫌いだったため、やられたらやり返し
むしろ敵を泣かせていたので、どっちが悪いんだか
周りからは分からなかったそうです。

そんな負けん気根性の原動力になったのは、幼い頃によく祖母から
「嫌なことをされたら、倍にしてやり返すんだよ」
と言われていたためだと思います。
さらに、私が祖母に4倍返しにする!と言ったときは
それはやりすぎだと歯止めをかけられたことが、
やり返すにしても行き過ぎることなく、見事やり返せたのだと考えています。

だからこそ、いじめに困っている人に、是非とも、やり返せと叫びたい。
死ぬなんて、敵の思うつぼじゃないか。
悔しくないのか?
ノートに落書きされたなら、先生に見せつけて
誰が犯人だと思うと、意味がないかもしれないけれど言っておけば
先生だって目を光らせるようになるし
今時はケータイというとても便利なものがあるのだから、
放課後でも朝でも、らくがきをするその瞬間を、カメラで撮影して
それを証拠に、いじめる人の親に言いつけたり
こんなことをしているなんて恥ずかしくないのかと、言葉攻めにしてしまえば良いのだ。
それでも更にやるようならば、こっちは怒っているんだと、相手に気づかせ
更にこのままだと、いじめている方が危険だと思うように
教室で、生徒がたくさんいるようなときに
いじめの首謀者のノートでも教科書でも、破ってしまえば良い。
破れたらテープで張れば良いのだ、落書きは消せないものが書かれているのだろうから
よっぽど平和的なやり返しだと思う。
そのときの衝撃は、落書きの比じゃないだろうから、一石二鳥だ。
ちなみに、私は実行済みです。

長文失礼しました。

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 少年法の問題点

少年法が今問題となっています。1997年の神戸連続殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)で少年法がクローズアップされました。その後、2004年に長崎県で発生した十一歳の少女による同級生殺害事件も少年法改正論議に拍車をかけています。

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Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなエンジニア。
日本の事を憂いてみたり、日々思ったことをまとめて、綴ったりしています。その合間に写真も撮っています。
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