さくらのみや日記

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おきてがみ

日韓歴史共同研究委員会報告書を読んでみた

図書館で調べ物をしようと思って、ぶらぶら書庫を眺めていたら「日韓歴史共同研究委員会」の報告書4冊がありました。

おお、これは古田先生が関係した奴では・・・と軽い気持ちで手に取って読んでみましたが、面白い。

ここでいう面白いってのは、interestingではなくて、funnyぐらいの意味で。

大学でも会社でも、仕事関連の論文や技術書を読んでいて、interestingの意味で面白いってのはよくありますが(むしろそれが当たり前なんでしょうけれど)この日韓共同研究の報告書は、理系のそれで言えば「トンデモ本の世界」くらいに面白い。

報告書の全文はこちら(PDFファイル)で読むことができます。

報告書の形式は、ある事象について、日本の学者が論文を書き、それに対して韓国の学者が反論、それに、最初の学者が再反論という形式を取っていますが(日韓の学者が逆のパターンもある)全然話が噛み合っていないところが実に面白い。

書いている人たちは、さすがに学者さん達なので、それなりの論文の体裁をとっていますが、書かれている文章の端々にイライラ感があったり、韓国人学者の論文なんて、読んでいるうちに「この人、書いているうちに自分で何言ってるのかわからなくなってるんじゃないのか?」と思ったり(それは日本語訳にも問題があるのかも・・・どうなんだろう?)

読んでいると、第3部会にある日韓併合条約については、日本側の国際法に基づいて行われたという主張に対しては、

帝国主義の侵略と植民支配という歴史的事実は単純な国際法上の法理論争ではなく、より巨視的な次元からアプローチしなければならないだろう。国際法というもの自体が基本的に植民地、弱小国の利益のためのものではなく、侵略を恣に行う強大国の間の利益調整であるという次元から提起されたものが多いためである。韓日間の条約も国際法の法理としてのみアプローチするようになれば、日本の不法な侵略は当然隠蔽されてしまう。歴史的認識を欠いたまま植民支配の道徳的不当性のみを議論するのならば、帝国主義侵略を反省する次元ではなく、結局植民収奪を受けた国家に対する同情にすぎない。法理解釈的次元よりは歴史的観点からその性格究明にアプローチしなければならないだろう。


と、国際法は列強が作った法律だから意味がなく、歴史的観点から見るべきと主張してみたり(事後法で行われた東京裁判みたいな野蛮な裁判の「諸判決を受け入れ」て、いまだ反論しない国とはえらい違いや・・・)

日本は、徳川幕府時代の不平等条約と言われた五カ国条約のようなものでさえ、そのあとの明治政府が交渉を重ねて(←これ重要)改正させたのですけれどね。
朝鮮にはそういう、一度結んだ条約は不平等であれ約束。改める為には交渉で改正した条約を再度結ぶ、という思想がないような気がします。

日本が朝鮮半島で近代化を推し進めた側面については、日本側の

日本の支配政策の抑圧的側面は極めて詳細に叙述されているが、他の側面についてはほとんど言及がなされていない。植民地統治を経験した韓国人の立場としては抑圧的側面を強調するのは当然であるが、支配の他の側面、例えば中央における集権的官僚統治、地方行政制度、日本式の近代的資本主義など、植民地統治が導入した様々な制度および行動様式については、全く触れられていない。しかも、個々の指摘についても、全体的な考察に基づくというよりも、抑圧的側面に適合的なものが選ばれたとの印象をもたれかねない。まず、一貫性が強調されるため、時期区分がなされているにもかかわらず、時期的相違が明確でない。それゆえ、超歴史的な印象を与える恐れがある。また、朝鮮総督の権限の独立等が主張されているが、官制改革によって時期別に変化した本国からの統制の側面は伝わらない。さらに、同化政策・同化教育・皇国臣民化はすべて同一政策として延長線上に位置づけられ、論理的な整除がなされていず、諸概念間に存在する問題性の理解に乏しい感がある。そして、最大の問題点は、何故、支配政策が過酷なものとなったかに関する因果関係的説明が弱いことである。


という指摘に対し

私は日帝の韓国への支配政策の基本的性格を明らかにしようとはしましたが、全ての事項を一々羅列しようとはせず、またそうする必要もありませんでした。時期的な違いが明確でないと指摘されましたが、私の主張は時期的な違いがあるにもかかわらず、時期全体を通しての基本的支配政策の性格がどうだったのかを究明することに焦点を合わせました。同化政策、同化教育、皇国臣民化教育が区別されていないという指摘も納得のいかない指摘です。同化政策、同化教育、皇国臣民化教育は範疇が異なって設定されており、基本的に大きく見れば同一の性格を持っていても、時期により性格が異なるという点は明確にしています。もう一度読まれることを勧めます。なぜ支配政策が過酷だったのかも序論において示しました。論評者もそのことに言及しましたが、どの点で因果関係が合わないのか分かりません。


という反論。うーん。結局は「日本悪いニダ!」しか言えんのか。複眼的な観点を放棄している・・・。
これで学者なのか?

まぁ、私もまだまだ全部読んだ訳じゃないので全部を断言できませんが、昔々のことを調べた第1部会(大和朝廷の時代)、第2部会(秀吉の時代)も、こんな調子なのかなぁ。

まぁ全文読むのは結構大変ですけれど、時間の余っている人には、無料で読める書物としても、とてもお勧め。しばらくは図書館で暇つぶしには事欠かなさそう(^^;

ただ真面目に興味深い報告書もあった。

たとえば「韓国「新女性」と「近代」の出会い」(井上和枝さん)なんていう論文は、真面目に勉強になりました。韓国人からの変な反論もないし。


おきてがみ

▽コメント

 

こんばんは。
自分もこの歴史協議の話を少し読んだことがあります。
そもそも「歴史」に対する捉え方が韓国は違うんですね。韓国は「時の政権が作るもの」という中国的な考え方なのですから。実証主義的な考え方なんて全然無い。
まさに「だめだコリア」ですね(苦笑)。

 

私も、その共同研究の存在は知ってましたが、報告書を目にしたのは初めてでした。
古田博司先生が、著作の中でぼやいていましたが、なんとなく気持ちがわかりました(^^;

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