さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

「若者殺しの時代」読書メモ

先に取り上げた、赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」の中でも、再三再四紹介される、堀井憲一郎氏の著作。この書を下書きに、赤木氏の作品は書かれてように感じるくらいに、本作は実に面白い作品、という風に感じました。



作者の堀井氏は、調べて見たところ、1958年生まれ。私のような1975年生まれから見ると、17歳差で、0.5世代くらい上の感覚という風なところでしょうか。(赤木智弘氏は1975年生まれ。誕生日まで考慮すると、私の1ヶ月後くらいの生まれのようです)
ここで、堀井氏の作品と、赤木氏の作品を読む上で「属する世代」というのは、とても重要な要素になります。
堀井氏の著作の中で出てくる「若者」という世代は一体いつの世代を指しているのか?とても重要な要素なのですね。

本書では、堀井氏自身が「若者」だった世代について、すなわち、1980年代を中心に回顧をする、という形式で、当世代に起きたこと、そして起きていて気づかなかったこと、さらに、それがどういう影響をもたらしたか、ということを、ぼんやりと書いて行く、という体裁で述べられていきます。

なので、私と同じ世代や、それより上の世代は「あー、そんなこともあったなー」という感じで読むことができます。

たとえば。

クリスマスを恋人と過ごす習慣が根付いたり。
「一杯のかけそば」なんていうお話があったり。
年越しはディズニーランドで過ごすようになっていたり。
宮崎勤事件が起きていたり。
ポケベルから携帯電話になっていったり。

そういう80~90年代に発生した「事象」についてぼんやりと振り返りながら、一方では丁寧に当時の資料等を検証しながら「あの時代、流れとして振り返ったら、一体何が起きていたのか?」を解き明かすという仕組みになっています。

なので、それより若い世代の人が読むと「??」になってしまうことがあるかも知れません。
私も80~90年代と言えば、5才~24才に相当する年齢なので、90年代はまだしも、80年代の「若者」というのはいささか自分よりも年上の世代という感覚です。

80~90年代というのは、景気が最盛期にあって、あらゆるものがパッケージ化され「大人」が「若者」を消費の対象として取り込み始めた時代、という風に、本書では定義されています。クリスマスは恋人と二人でホテルで過ごそう!なんて象徴的ですね。私も高校生だかの頃に読んだ本で、クリスマスのホテルの予約は2年先だか3年先だかまで予約で埋まっている、なんて話があって「いやはや大人になるのは大変やなー」と思ったのを覚えています。
(もっとも自分たちが「若者」と呼ばれる世代には、バブルが崩壊した後だったので、そんなのはネタになってしまうわけなんですが・・)

表題となっている「若者殺しの時代」で「若者」とはどういう扱いをうけ、どう処理される仕組みが作られていったのか?そういったことが平行して紹介される、と言う形です。

肩肘張らずにニヤニヤしながら読めて、かつ、今置かれている状況がどういう状況なのか?を確認する意味でも面白いです。
「若者の~離れ」ってのは、この本を読めば、そりゃ離れるよな、という気分になりますね。

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「若者を見殺しにする国」読書メモ

赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」読了&メモなど。


こう言ってなんですけれど、言っていることは当を得ている上に、それなりにうなづくこともあるにも関わらず、この著者にあまりシンパシーを感じないのは、なんなんだろう・・というか(笑)

著者は論座誌上に「希望は、戦争」と名付けられた論文を掲載し、いわゆる左系の文化人達を(比喩的な意味で)頬をはたき回ったという、なかなか楽しい人です。
「若い貧困層が、左翼に期待しない(いわゆる「右傾化」に走る)のは何故か?」というのは、困ったことに、この程度の文章を書く人に簡単に論破されてしまうような内容だったりするんですね。左系の人がどんな論陣を張ったところで、こんな言い方をしたら失礼ですが、赤木氏一人の雇用口さえ提示できない。こんな単純なことで、現実を見ずに理想を振りかざす左翼の欺瞞を指摘しています。

じゃぁ、右翼がいいのか?というと、そういう立場にも赤木氏は立たず、やれ右だ左だの論争とは違う方向に向かおうとするのですが・・。

まぁ、言わんとすることはわからないでもないというか、男女平等っていうのなら、主夫の地位向上を!というのは、それなりに正しい部分はあると思います。私自身もその考えがわからないのでもないと言いますか、さまよえるプログラマもどきとしては、個人的には、定職があってなきがごとき状態なので、ヒモとまで言わないにしても、主夫に近い状態になるかも知れんなぁ・・と感じたりもするもので(苦笑)

でもなんというか、私は別にキリスト教徒ではありませんが「神は自らを助くるものを助く」ではありませんが、どうもそういう風な意識が伝わってこず、氏については「本人が仕事をできないのは、仕事を任せたいと思われない何かがあるのでは?」という意地悪な事を考えてしまいます。
本書が書かれたのが2007年頃なので、その頃から比べると、著者はそれなりの論客として活動されているようなので(邪推すれば格差社会のロスジェネ代表みたいなポジションは確保できている様子なので)それなりに需要はあるところで、活動できているだなぁ・・と思うので、まぁ仕事はそれなりにあるんだ、なんて思ったりもします。

ただこの本の困ったところは、そういう著者についてシンパシーはあんまり感じないのですが、言っている内容は鋭いところをついていたりもします。
たとえば、大人が作った「若者」像に当てはめられて、ロスジェネ以降の世代はその型に嵌められて苦しんでいる、と言うところは、大体当たっているんじゃないか?と思います。

もっとも「大人の立場」で言えば、そんな型は勝手に作られたものなんだから破ればいいじゃない?という話なのかも知れませんが、実際のところ、型を破るのに挑んで失敗したら、本当に人生そのものが危ういという立場を間近に感じて居るのと、安易に煽るのとでは、違う立場にあるというのを考えながら「大人の立場」では読まないといけないかも知れません。

うーん、なんていうか、まとまりのない文章で恐縮です。

おきてがみ

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Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなエンジニア。
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