さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

「乙女戦争」のレビュー

昨日のレビューに続いて、2作目です。
近所にあるアニメイトで見つけた作品なんですが、元々はアニメイトで、森薫さんの「乙嫁物語(6)」を買いに行って、表紙が目に付いたので買ってみた作品です。
ちなみに、Amazonのいわゆるお勧め商品と言いますか、「これを買った人はこんなのも買っています」のところで、乙嫁のページを見ると、この「乙女戦争」もお勧めされます。大体客層がかぶるんでしょうなぁ(苦笑)




で、中身ですが、唐突に大文字で語りますが

タイトルが「乙女戦争」なのに、乙女じゃなくなるよ!(性的な意味で)

乙嫁の件でもそうなんですけれど、いわゆる「戦う女の子」物ですね。
この「戦う女の子」系統は
1.「トゥーム・レイダー」のララ・クロフトの様な「ムキムキマッチョのアマゾネス」系
  (ララ・クロフトを存じない方の為に、喩えとしてわかりやすく「なでしこジャパンの澤兄貴系」とします。「吉田沙保里兄貴系」でもいいです。イメージですよ。イメージ!)


2.ジャンヌ・ダルクのような可憐な乙女が非力ながらも必死に頑張る系
  (ジャンヌダルクが実際はどんな女性だったかわからないので、1と同じスポーツ界に喩えるなら「浅田真央系」「高梨沙羅系」とでもしておきます。これもイメージですよ!)


とあるようで、これは後者に属します。
(この分類をしていて、ちょっと気づいたことがあるので、別メモを書いてみたいと思います)



正直、表紙を見ただけでは「ジャンヌ・ダルクが主役?」と思ったのですが、違っていて、15世紀にボヘミア・ポーランド(現チェコ)で起きたフス戦争と呼ばれる宗教戦争を題材にした作品です。
(私も不勉強でフス戦争という言葉は知りませんでした。)

で、冒頭のいきなり「乙女じゃなくなるよ!」なんて書いちゃいましたけど、主人公の少女・シャールカは、

十字軍気取りのキリスト教騎士団に住んでいる村を襲われる。

村の人みんな捕まる

(シャールカ含め)女の子みんな騎士に陵辱される。シャールカ処女喪失。

陵辱された女の子はみんな死ぬ(シャールカだけ気絶だけで運良く生き残る)

暴行時の破瓜の気絶から目が覚めたら、村人がみんな吊り殺されていた

という、四球・四球・四球・満塁ホームランを浴びた阪神・岩田投手のような開幕スタートで始まります。
(岩田投手に対して悪意はありませんが、イメージです。イメージですよ!

そんな感じの開幕ダッシュなんですが、興味があるのは、そんないきなり絶体絶命な主人公を拾ったヤン・ジシュカという隻眼の傭兵隊長がいるのですが、この人、実在の人物なんですよね。
そのジシュカの部隊に参加して、シャールカは敵討ちの為に戦場に立つ、というのがストーリーの本筋です。

フス戦争において、歴史上のヤン・ジシュカは、フス派と呼ばれるプロテスタントの一部に味方し、十字軍や神聖ローマ帝国などの、外部からのカトリック勢力と争い、何度もカソリック勢力を追い払ったことで、ボヘミアの英雄として扱われている人物です。
この人物の注目すべき点は、そういう年表的な歴史での業績とは別に、西洋で本格的にマスケット銃、要するに鉄砲を実戦で用いたということで、この「乙女戦争」の作品の中でも、ジシュカがシャールカに「笛(ピーシュチャラ:ピストルの語源)を授ける」という台詞が印象的に描かれます。

この辺りは、日本の戦国時代「やあやあ我こそは」と名乗っていた武田軍の武士を、農民兵が鉄砲でバンバン倒していく「長篠の戦い」の織田信長のような人物を想像させます。

実際、信長とよく似て居るなぁと感じる部分が他にもあって、ヤン・ジシュカという人物も全く穏やかではなく、理想主義を貫くような正義漢ではなく、たとえばシャールカの可憐な容姿・神聖性を逆手に利用して、フス派の何も知らない盲信的な信者達を狂戦士に仕向けたりするシーンがあったりするなど、バンバンと汚い手を使うというような事もしていきます。

私は、こういうピカレスクは大好きなんです(笑)

余談ながら、枕で述べた「乙嫁物語」の乙女のアミルさんは、既婚者なんだけど未だに乙女のような気がしてならない・・性的な意味で。

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おきてがみ

「私という猫」のレビュー

少し暇が出来たので、しばし書き物を。

というわけで「私という猫」についてのレビューです。




二つ紹介していますが、上の「私という猫」が、巻数で言えば1巻、下の「私という猫 -呼び声-」と副題のついているものが、巻数で言えば2巻に相当します。

さて、世の中に猫を題材にした小説やマンガは、ご存じ夏目漱石を筆頭にたくさんありますが、この2篇と、そしてこれを書き上げたイシデ電という人は「凄い!」の一言しかありません。

猫を題材にした作品というのはどうしても猫を「かわいい物」という、人間から見た愛玩動物としての側面を描くことになります。なので必然的に「癒される」とか「ほっこりする」という印象になります。読んでて幸せな物になるというのが多いと思うんですよ(適当に主観で書いてます)

ところでこの「私という猫」については、これは猫が好きな人が読むと、大きく評価が分かれると思います。私のように圧倒されて息を呑んでしまうか、嫌悪感で燃やしたくなるか(笑)

内容をさらっとネタバレにならない程度に書きますと、「私」という自称で称される一匹のメス猫の視点で物語は描かれるのですが、「私」やその周辺の猫たちは、いわゆる野良猫として描かれています。
「私」は群れるのが嫌いだが、猫は群れていないと生きていけない。「私」も餌にありつくにも群れからつかず離れずマイペースで、時に面倒を起こしたり楽しんだりしながら、それでも飄々と生きていく様を描きます。
前巻のハイライトは、そんな群れの中で「ボス」と呼ばれる群れのボスの活躍と生き様が描かれます。
この巻については、ボスの人生(猫生?)とその周辺の野良猫たちの力強い生き様に、人間社会のそれを重ね合わせて共感して読むこともできるので、普通の人でも受け入れることは難しくないと思います。

圧巻なのは後巻に当たる「-呼び声-」篇です。
ボス亡きあとの群れたちは、次第に色々な形で野良猫としての凄惨な人生(猫生?)を送ることになります。
餌を十分に確保できずひっそりと死んでいく猫、人間に駆除されていく猫・・・。
主役の「私」もあるときに、自らのミスで人間に捕まり、人間に「害敵」としてある悲惨な目にあってしまう。。。

---

私が思うに、猫を心底愛している人は、この作品を好意的に受け入れられると思いますし、単に「猫好き」なだけの人は、えげつない作品という感情だけが残ると思います。一種のリトマス試験紙、猫好きに対する踏み絵的な作品です。

後半の「-呼び声-」篇は、特別に悲惨な表現はなく「現実はこうだよ」と提示しているだけなのに、どうしてここまで凄惨に感じるのか。私が感じるのは、人間社会も一皮むけば変わらないよ、と感じるからかも知れません。

この「私」の世界観では、野良猫だけではなくて、人間に飼われている猫も出てきて「飼われ」という形で少し蔑んだ表現で呼ばれたりもしているのですが「与えられるだけで何もしないで温々と餌がもらえる幸運」な猫たちが、他の猫を題材としたマンガや小説でキャッキャウフフと持て囃されて扱われているのならば、その戸板一枚めくると、野良猫たちの凄惨な生存競争が行われている、そういう姿を忘れるなよというメッセージのようなものを、私などは感じる次第です。

前巻はなかなか入手しづらいのですが、後巻だけでも楽しめる作品ですので、全然癒されない猫マンガ(笑)お勧めです。


おまけ
違う意味でホラーのようなギャグのような猫マンガ、伊藤潤二の「よん&むー」です。

犬派の岐阜県在住某漫画家J氏が、結婚して猫派の奥さんに押し切られて猫を飼い始めた時の実体験?のようです。
絵はホラー調ですが、中身はギャグですよ。お口直しにどうぞ。

おきてがみ

あけましておめでとうございます。

2014年賀状


おきてがみ

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Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなエンジニア。
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