さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

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おきてがみ

山本七平「空気の研究」読了です。

やっと読了。読むこと自体はそんなに難しくない本なのだが、感想を書くとなると途端に難しくなる。
ここでいう空気は「空気を読め」の空気。山本七平の時代よりも「空気」という謎の存在の強さは影響力を増しているのもあり、興味を持って読みました。

内容はそんなに難しくなく、西欧、特に山本氏自身がキリスト教徒でもあったことから、ユダヤ教文化と日本の汎神論を背景とした文化の違いから読み解き、西欧にもそういう「空気」的なものはあることを挙げながら、同時にそれと真正面から対峙し、それの影響力を受けないように徹底して文化を築いてきた。それが科学であり契約社会的な真実を間に受けることを選択したのに対し、日本は臨在的感覚こそを、第一義とするところにある。では臨在的感覚とはなにか・・という形で話は進んでいきます。

話の合間に時代背景を扱った物、本書の中ではイタイイタイ病とカドミウムの関係で、カドミウムそのものはタダの金属なので手で触れても大丈夫という「科学的正論」と、カドミウムと聞くだけで発狂しそうな「空気的存在」。この辺りの対比は今まさに原発の賛成派(含む漸減派)と即時廃止派の図式を現代だと想定して読めば非常に楽しめることと思います。

他に個人的に面白かったことは、若干イデオロギーに関することですが、自由の問題についてですね。
戦後アメリカから輸入された民主主義や自由について山本氏の指摘がするどく「自由なんて物がもし本当の意味で日本に定着していれば、日本人は再び皇室を中心とした家父長制度によるを自らの意志で作り上げるだろう。それを戦前続けていた日本人を自由にしたら、そういうシステムを作るのは自明の理」とまで書いていて、確かにそうだわなーと思い至ったこと。
そして「革新は急進だと保守主義を否定して社会主義や共産主義を進めようとする連中がいるが、その「やり方」はこの国の空気の醸成のシステムを考えると、極めて保守的な手法で主張するしかない」とも指摘しています。

こういう形で、世俗レベルで、政治的な問題のレベルで、宗教的なレベルで、手を変え品を変え「空気」の問題に螺旋状に回転しながら切り込んでいくところは、読みづらくもあり、またダイナミックでもあり、はっと気づかされることもあり。最後に落ち着くところで謎が解けるところも含めて、最初は難しい部分もありますが、楽しんで読むことができました。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
(1983/10)
山本 七平

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おきてがみ

「符堅と王猛」のレビュー書きました。

最近時間がとれないな~という言い訳を埋めるべく(正確には書くネタが思いつかない・まとまらない)ので、久しぶりにレビューでも。

五胡十六国時代は中国史が好きな人間でも一度は心惹かれる千々乱れる世界は、日本の戦国時代に近いものを感じるからでしょう。
ですが、日本の戦国時代のように、おらが町の英雄がいれば、それなりに語ることもできましょうが(大阪生まれの僕には三好家とか微妙だなぁ・・・。高槻住まいの身としては高山右近か)中国でしかも五胡とあるように民族入り乱れてとなると、もう何が何やらですね(笑)




中国史上でもっともカオスな時期、晋末から始まる五胡十六国時代(魏晋南北朝時代)の人物を描くという意欲作。
作者の小前亮さんは、田中芳樹さんに勧められて中国史ものを上梓するという気鋭の作家です。

中国史好きでも、正直なところ、五胡十六国時代(最近は五胡という言い方が少数民族への配慮に欠けるということもあって、漢末の黄巾の乱~隋による統一までを魏晋南北朝時代という言い方をすることがあるみたいです)というのは、国ができては滅びで、血生臭さを感じる時代で、歴史を生き物として捉える想像力たくましい人たちにとっては、一度は興味がわく時代だと思います。

ただいかんせん、国ができては滅びできては滅び分裂し、を繰り返すので、国の名前・地域・人物を覚えるだけでも挫折してしまいます。(しかもそれらがどの民族で・・というような感じですので)
日本の戦国時代でも、織田信長が桶狭間で戦っているころ、一方薩摩の島津では、毛利では、東北の南部では・・・みたいなのを年表にするようなものなので、どこから手をつけていいのかわからないというのに陥ります。

その中で傑物といえる人物が本書で主役となる、符堅と王猛という人物。
そのなし得た業績だけを見れば日本の戦国時代で言えば、統一にもっとも近づきながら果たせなかった織田信長に擬することができましょう。

当作品の中では、五胡十六国時代の混沌とした時代の中期。時期でいえば4世紀末で、三国志の時代が終わる晋の天下統一から約100年後の時代になります。

符堅という人物は、漢民族を中華とみる史観からは「蛮族」の一つ・羌族という出身ながら、関中に秦(前秦)という強国を打ちてます。秦の当時の領域は、始皇帝擁する秦の領域に近い、長安の前後を領域とした土地で、符堅即位前は、北東は燕(黄河北部一帯を支配する鮮卑族の国)、南東は東晋(三国末の晋が江南に逃れて打ち立てた漢民族の国)に挟まれて苦戦しますが、徐々に富国強兵を行い、国力をつけていきます。

その際には、符堅は「中国の統一のためには、羌族だ漢民族だ鮮卑族だといった民族のことを考えていけない」という理想を掲げ、王猛という漢民族出身の宰相を得て、力を貯め、まずは朝廷の腐敗が進んだ燕を征服して行きます。
燕は鮮卑族の国なので、漢人の王猛としては付かず離れずの距離を保つことを主張しながらも、理想に邁進する秦王・符堅は鮮卑族といえど自分の意見はいつか理解してもらえると信じ、鮮卑族の有力者で将軍としてもすぐれた慕容垂を重用していく。

その後時代も下り、秦は中国のほぼ大半を掌中に収めます。東は燕の旧領から朝鮮半島の付け根まで、西はシルクロードの入り口に当たる涼州を治め、西南の四川は小さな勢力が小競り合いばかりで秦とまともに戦える勢力は無く、秦に近い民族と東晋に近い民族が入れ替わり立ち替わり争っている状況。

そして、残る大きな勢力として、江南にいる東晋を残すのみとなった時に、ここは漢民族の最後の砦だからうかつに攻めてはならないと主張する王猛と、漢民族といえど自分の民族融和の理想は国が安定すればわかると主張し東晋攻略に向かおうとする符堅。

そんな折、王猛は病を得て世をさり、抑えの効かなくなった符堅による南征が始まり、中国史上でも「赤壁の戦い」に比すべき歴史の大転換期となる「淝水の戦い」と呼ばれる十六国時代の最大の戦いが開始される・・。

話としてはそんなところで終わります。


小説ではどうしても、符堅という人物はとてもとても甘く、腹立たしいくらいの甘さを感じます。
反乱を起こしたものでも赦しては元の職にもどしてやるなど、覇者としてはどうなのか?と疑問もわきますし、始皇帝を支えた宰相李斯を思わせるような、万事法に照らすべしの王猛の方がよっぽどか筋が通っており、この二人が現実では馬があったのかが非常に謎でしょうがないのですが、仮にこの人間関係が本小説におけるフィクションだとしても、現に符堅・王猛のコンビは多くの難しい民族の対立を緩和させながら中国の大半を統一していったことも事実で(符堅死後は慕容垂も含めて鮮卑族も独立をし、五胡十六国後期と言われる戦乱時代が始まるわけで)符堅・王猛ともに、中国統一に王手をかけることができたのは、三国末の曹操を思わせる傑物といえるのは事実ではないかと思います。

この時代を理解するには、年表という骨に対して、小説という血肉を与えたという点で、作者にとっても難しい作品だと感じましたが、時代理解のための最初の楔を打ち込んだという点では、作者の視点に点数を上げるべきではないかと感じました。

おきてがみ

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