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さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

哲学の先にあるもの

鬱と関連があるのかどうか、自分は最近は(というか10年以上は)哲学書だったり、そういうものに惹かれて読んでいるところがありました。
でも、もうそろそろいいかな(笑)

と言っても、いろんな本を読んだ末に、ここに自分の求めるものはない!というような悟りのような境地に至ったわけではありません。
必要があったり、興味がわけば、また手を伸ばすことになるでしょうし、もう哲学というものが終わった、ということになるわけではないですし。人の営みが続く限り、哲学や宗教というメタ学問は続くことでしょう。
ただ、自分はついていくのに疲れてきた、というところかも(笑)
自分はそれで飯を食っているわけではないので、いつでも止められる、いつでも始められるというのはありがたいですね。

どうも色々読んでいくうちに、自分の中で抽象化されてきた中で(自分の感覚だけでいうならば)
・歴史的に、①ある体系をビルドする時期、②①でつくったものを脱して再構築のためにバラす時期
というのがあるような気がしています。それらは、どの理論が今そのフェーズなのか?となるとうまく掴みきれていないですし。

ただ、面白いことに、文章というのは、解釈にゆらぎのようなものがあって、そういう「遊び」があるがために発展できる余地があるわけですよね。数学だと1+1はどうやっても2ですけれど(もっとも数学も発展した先には色々議論する場所があったりするんですが、それはそれとして)

哲学の書物を読み続けて、一つ、自分の中の考えの踏み台として、一つ固まったのは「考えるのを止めるな」ということでしょうか。
哲学の真髄、悟りのような、一つの答えはそこにたどり着いたように感じます。ただ、そこにたどり着くまでが長かったかなぁ(苦笑)


ニーチェ読みのニーチェ知らず(1)

なんかまとまったら書きますわ、と良いながら全然書く間がなくて、なんだか恐縮ですが、最近思ったことなどをメモ書きに。
もっと面白く書けたらいいんだけどねぇ。

ここ最近の活動はFacebookだったりtumblrだったりでブログで匿名で書くことが少ないというか、そもそもブログの投稿欄を開くのがめんどくさいぞ、的な状況だったりもして、さらにはFC2をやめてgoogleのBloggerの方が、Android使いとしては都合がいいんじゃないかとか考えたりもしています。いや本当に。

とか言いつつ自分が使っているLife TouchはAndroid端末でありながら、標準でFC2に投稿するアプリも載っているので、気楽にかいて載せる的には良いかなと思ったりもしているのです。

さてそんな感じですが、まとまってから書くよりも、書いてみたらまとまるかも、的な感じで最近考えたことなど書いてみます
いつもそうなんですが、ブログを長期開けた時に再開するときってのは、最初何を書くかが悩ましいんですよね。

ここ最近の考えていることは、ニーチェ読みからはじまって宗教の問題。
最近ことに宗教の話を考えることが何故か多く、今みたいな時代だと宗教はいい意味で精神安定剤になるというか、メンタルヘルスに通う人(私も含めて)ってのが増えて来たのは、宗教が勢力を伸ばすチャンスなのかもね、ということを思ったりもしたんですね。
だから、宗教でもやるか!とかそういう話ではないのですが(笑)

ずっとニーチェの本は、最初に「善悪の彼岸」を読み出してから「道徳の系譜」・「悦ばしき知識」「権力への意志」「反キリスト者」と来て俄然面白くなってきました。

哲学書の中では、多分かなり異端な書物だと思います。特にニーチェという人の文章の書き方が寓意であったり、アフォリズムであったりという形式を取るので、論文を長々と読まされるというイメージのある世界に比べると、僕の印象では読みやすい、という印象です。一つ一つの章立てが短いという印象もあるんですよね。
だから「がっつり思想を読みたい」とか、大学で論文で使って起承転結で書かれた物を「書物」と考える人だと、逆に断片的で読みづらいのかも知れませんが、僕としては「考えるな、感じろ」の書という印象があります。

僕自身がここに手を出した経緯というのは、ずっとさかのぼること、大本は「葉隠」にいたります。
ニーチェに比べると「葉隠」はマイナーな書物ですし、内容はせいぜいが「武士道は死ぬことと見つけたり」と言う程度の人が多いです。ツァラトゥストラもそうですが「神は死んだ」と言ったり、どうも思想家は死に急ぎが多いです。

さて、葉隠の話ですが、葉隠がどういう書かというのはざっとwikipedia先生にお任せするとして、内容の中で興味を引かれたところを少しだけ紹介しておきます。

葉隠は新渡戸稲造がでっちあげた(ぉぃ)西洋かぶれの「武士道」なんか話にならない以前に、もっと荒削りながら「武士の生き方」を説いた超実践的自己啓発書だというのが僕の偏見での意見です。
うーん、葉隠を「武士道向けに書かれた自己啓発書」なんて解釈はあんまりした人はいないだろうなぁ。
自己啓発書と言っても「武士道は死ぬことと見つけたり」の一文を持ってそんなこと言っているわけじゃありません。昨今の自己啓発書でも「仕事に狂い死にしろ」なんてのも、まぁ希にはあるかも知れませんが、アホ抜かせ程度で相手をされないと思うんですね。

葉隠の面白いところは、そういうかなり高度に「武士とはかくあるべき」という高いところも話していながら、超実践的なことも言っています。酒の飲み方の作法、恋愛の仕方の作法など。
特に恋愛の仕方の作法に出てくる

「逢ひてからは恋の丈が低し。一生忍んで思ひ死にする事こそ、恋の本意なれ」

なんて僕の中では至高の名言と感じます。古文の勉強の復習ですが「~することこそなれ」という係り結び
が用いられ居るほど強い語気で記されているところに注目です。

まぁそれはともかく、そんな「武士向け自己啓発書」の葉隠の中には「死」について考えるシーンがあります。
「結局の所どんな功名を上げたところで、最後には墓に入ってしまう。この世は所詮は幻。自分もからくり人形のようなものよ」
この一文は、後世の人間から見ればニヒリズムにとりつかれたシーンとして解釈され、如何に生きるかを考え続けた挙げ句に「如何に生を完結するか」と考えて、三島由紀夫が割腹自殺を図ったというのは、ことさらに悲劇的であったというしかありません。

・・・で、えーと、本編のニーチェのお話でしたっけ?
そうそう、やっとニヒリズムというキーワードが出てきたところで、次回に続きそうです。


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プロフィール


佐倉純

Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなプログラマ。
日本の事を憂いてみたり、日々思ったことをまとめて、綴ったりしています。その合間に写真も撮っています。
時々子供のネタなんかも。

ぜひゆっくりご覧ください。


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