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さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

noteへと引っ越しをしようと思います。

こちらで断片的に記している、さくらのみや日記ですが、noteの方に引っ越しをしようと思います。
少しずつブログネタを移しながら、こちらのネタをあちらに移す予定です(時事ネタなどはこちらに残していきますが)

ただ、このブログでの更新は、ここで終わりにしようと思います。
ぜひ、noteの方も、ご愛読いただければと思います。
移転先はこちら↓です。
https://note.com/jjsakura


まとまりなしの雑感

時間がないので手短に雑感など

・twitterでは多くの人がいろんなことをつぶやいているのですが、炎上する問題を見ると、炎上するような人はそれなりに発信力が本来はあるわけで、それだけいろんな人の耳目を集めるスキルがありながら、そうなってしまうのは、人間はどこかで耳目を集める能力→ポンコツに転落する境目というのがあるのかしら?と思ったりします。
フォロワーが三桁の自分では、何言ってもほとんど炎上もしないですからね。いいねがつくことも二桁もないし(笑)

・なので、あえてこういう時代にこそ、ブログで書くという原点に戻りたいと思って、少しずつ再開しています。気まぐれにもなりますし、色々。

・政治ネタは最近はやっていませんが、一応自民党の総裁選くらいは気にはしていますよ。政治ネタをやっていなかったのは、安倍政権が自分の中では、今まで(大人になってから)見た政治家では、すごく安定・まともに感じていたことと、コロナの頃は、政治批判なんてしてもなぁ・・という気分だったからです。

・菅総理に関しては、コロナ対策・五輪の実行というのが自分の役目とわきまえて、安倍政権の番頭を勤め上げたのかな?という感じです。お疲れ様です。次は誰になるのやら。野党はいつもどおりに論外感しか感じないです(苦笑)コロナ禍が完全に収束しないところで「夫婦別姓」「同性婚」「モリカケ」を持ってくるセンスのなさは、うーん。。。


昔、時代劇を嘲笑った少年は、今時代劇に泣く。

リモートワークで仕事を家でやることがあったり、休みのときなどで、昼間にテレビでやっている時代劇の再放送を見たりすることがあります。
大阪に住んでいる自分としては、テレビ大阪で昼間にやっている「水戸黄門」だったり、最近だと、藤田まことさんバージョンの「剣客商売」などでしょうか。
子供の頃から「必殺仕事人」なんかが好きだったので、もともと時代劇が好きだったのもあるのでしょうが、もう中年と呼ばれる歳になった今になって見ても、それなりに面白く見ていたりします。

ただ、子供の頃見ていた「必殺仕事人」なんてのは、単にチャンバラシーンが好きで見ていた感じもありますし「水戸黄門」もワンパターンだなぁと思っていたのですが、この歳になって、ストーリーをじっくり理解しながら見ると、単に人情話とわかっていても、今はこれを超えるドラマが作れない時代になってしまったのかなぁ、と感じたりします。なんていうか、自分の想像を越える「粋な話」ってのが、テレビで見ることができないように思うんですよね。
水戸黄門の話を一話分見ても、その中で、まさに主題歌の如く「笑いあり涙あり」だったりするので、時代を超えたエンタメとして生き残っているなぁと感じたりもします。

「スカッとジャパン」というエンタメ番組がありますが、ああいう形で、世の中の「理不尽」を「義憤」で切り捨てるカタルシス、この二つをドラマという形で婉曲に表現できる人が少なくなってしまっているような気がしています。

「スカッとジャパン」は、別に見ていてわざわざイライラ増幅をさせて切り捨てる演出ってのが、正直自分の好みに合わないので見ることはないのですが、昔はこれはドラマの悪代官であったり、「必殺仕事人」で始末される役が担っていたのかなぁと思ったりするのです。そういう婉曲な表現で物語を作っていたのが、今はそれができなくなったのかしら、と感じたりします。

それはともかく「剣客商売」は改めて見ると面白いので、原作の小説をじっくり読んでみたいかな、という印象も。
うーん、手を出すとえらい金脈なのかなんなのかわからないが、余計な仕事を増やしてしまっている気もして、うーん。


ものを書く人は、しょうもないイチャモンに屈してはいけない「文体の舵を取れ」



ル・グィンの紹介はさておいて(代表作は「ゲド戦記」シリーズ)この人の、小説以外の文章は、講演をまとめた「いまファンタジーにできること」という別の作品でも読んだことがあります。
まぁなんというか、小説というか、表現活動において、非常に厳しいと言いますか、ストイックな人という印象です。
それを他者と言いますか、映画版のゲド戦記に対しての評価などにも向けられましたが、原作者としてごもっともという感じだったりもします。つまり、表現において、すごく真面目な人、全身全霊を注いで表現している、と言ってもいいかと思うのです。
先程紹介した「いまファンタジーにできること」においても、ファンタジーの世界では切っても切れない縁のものとして、人間以外の生物との交流があります。ファンタジーの世界なので、それはドラゴンかもしれないし、ホビットかもしれない。
ル・グィンの舌鋒で厳しく追求されたのは、現実世界に存在する野生動物についての表現でした。
しばし、野生動物がファンタジーで描かれる際に、その行動の是々非々が、しばしば人間の価値観で判断・表現されることがあります。
一例をあげるならば、親が犠牲になり子を助ける、というシーン、という場面で、たしかに人間社会ならば美談になるところかもしれないですが、果たして、それは野生動物の世界で「美談」として正しい表現なのかどうか。
そういったことを問いかけています。

「いまファンタジーにできること」についてはここらへんにしますが、今回の「文体の舵を取れ」は、小説等の表現についての指南書・文章教室の体裁をとっています。
ル・グィンは2018年に死去していますが、文章の中には、少し前のTwitter等のSNSで流行した「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」についての言及などもあったりして、この時代の表現というものにすごく神経を尖らせていたというのがわかります。
(訳者の腕によるものかもしれませんが「文章警察」なんてワードも出てきて、時代を感じますね)

さて、その中で自分が少し読んだ中で、これはと思う話があり(これは、自分でも普段から思っていることでもあるので、いやもうおっしゃる通りで、って感じの話だったのですが)
「表現をする人は、そういう表現の警察に屈してはいけない。彼らがルールを作ったら、自分の意思で破っていかなければいけない」
というような文言があるのですね。

私自身は、こんな場末のブログで書いているだけなので偉そうなことを言うものでもないと思うのですが、ブログなりなんなりで一度表に出した文章は、そういった些末な表現でのクレームで謝ってはいけない、という風に感じているんですね。逆にいえば、それなりの覚悟で書けよ、と。
Twitterなどで簡単に書いて炎上して、炎上に便乗して、という世の中で、ありとあらゆる「表現警察」が跋扈する中、あえて表現警察に負けない強い意志を持つこと、誰かが傷つき腹を立てたしても、これは言わないといけない、というのが、表現の基礎であり原点なのではないかと感じました。

そういえば、その昔、このブログで書いた内容で、誰かが検索で飛んできて読んで、傷ついたから謝れ、みたいなわけのわからないコメントを頂戴したことがありますが、私の回答としたら「そんなヘボな検索エンジンを使ってる自分を呪ってください」とか、そんな内容だったと思います。



ゼークトの組織論を受け身側で考える

twitterなんかでたまに見かける「フォン・ゼークトの4原則」なんてのがあります。軍人を用いるときの組織論といいますか。

・利口で勤勉 - 参謀に適している。
・利口で怠慢 - 指揮官に適している。
・愚鈍で怠慢 - 命令を忠実に実行するのみの役職に適している。
・愚鈍で勤勉 - このような者を軍隊において重用してはならない。

ただこれみんな、自分が使う側を想定して意見を書いていることが多く、この観点でしか語らないんですが、これを受け身の観点で、すなわちこういう組織論を持つ上司のもとに、自分がよくわからない状態で配属されたと考えた場合、どう振る舞うのが正しいのか。

できる(=利口)/できない(愚鈍)の判断は上司の主観も入るので、

・勤勉に振る舞った場合、利口と思われていたら参謀に回される/愚鈍と思われたら疎外される
・怠慢に振る舞った場合、利口と思われていたら指揮官にさせられる/愚鈍と思われたら駒として生き残れる

と考えると、ゲーム理論的には、部下としては、怠慢な振る舞いをするのが当面の正しい戦略・・になりそうだけど、それでいいのだろうか・・?


劉秀を描くお話「光武大帝伝」

久しぶりの記事なので、本の紹介でも。



ライトノベルでも、中国史ものの話が増えてきたのでしょうか。その中で、異世界転生でもなんでもなく、正面から描いた後漢の光武帝(劉秀)のお話。まだ続巻があるようですけれど、この人についての色々なエピソードは十分出てきます。

「官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」

実際には、職の方は執金吾どころか皇帝になり、後漢200年の歴史の開祖となるのですが(妻は予言通りに陰麗華を娶る)それはさておき、チートとは言わないまでも、絵に書いたような快男児なんですよね。ただ快男児すぎて、小説としてインパクトに欠けると言いましょうか・・。

物語の主人公なり登場人物は、多少なりくせ者のほうが楽しかったりする場合もありますね。
中国物なら「水滸伝」なんかまともな人ほとんど出てこないか、まともな人ほど碌な目に合わない(笑)そんな極端な例はともかく、劉秀自身はまさに「鬼滅の刃」の炭治郎を思わせるような、好青年なんですよね。

ただ、周りは結構悲惨。

実の姉を戦いの中で失ったり、実の兄を味方の裏切りで失ったりと、なかなか悲惨な人生なんですが、そのあたりのドラマ性も一部くらいだけで、むしろ兄を失って劉秀が表に出てくるあたりから、名将鄧禹・呉漢・馮異といった人物が出てきて、一気に面白くなるのですが・・そこまではこの巻では紹介されないかな。

今はその待ち時間中、宮城谷昌光さんの「草原の風」で時間潰し中です。
同じ劉秀をテーマに、描かれていますが、落ち着いた歴史小説なので(それでもなお、劉秀という人物の「快男児」感は抜けないというか)変な異世界チートよりも、歴史上のリアルチートのお話も面白いかな、と思っても見たり。




長いこと書いていないので

生存報告ということで。
書きたいこと?あるようなないような(苦笑)


マヴァール年代記再読(2) 「のじゃ姫」の系譜

少し前にyoutubeで「のじゃロリおじさん」とかいうのが話題になっていた記憶があるのですが・・・
「のじゃロリ」というのを解説しておきますと、語尾が「~のじゃ」と老女口調になるけれど見た目は幼女というギャップを利用した一つのキャラだったりします。詳細はこちらなど。
(実際には、中国地方の方言で、千鳥のノブさんのような言い回しを男女問わずにすることもあるので、普通に「のじゃ」が出てきたりもするのですが・・)

そういえば、と、田中芳樹さんの作品には、結構昔から、ロリではないですが「のじゃ姫」が出てくるなぁ・・というは、昔、ネタにしたことがあって。
銀英伝には出てこないのですが、アルスラーン戦記に出てくる女神官のファランギース→タイタニアに出てくるエルビング王国のリディア姫(こっちは10歳なので、のじゃロリそのものとも言える)なんて、脳内では同じ声でしか再生されないとかネタにしてたものです。

マヴァール年代記では、主役格の三人(カルマーン、ヴェンツェルン、リドワーン)とは別に、それに華を添える紅一点のアンジェリナ姫というのが出てきます。ヴェンツェルンの妹にして、後、リドワーンの恋人→妻となる人物です。

これが田中作品に出てくる「のじゃ姫」の系譜に忠実というか、女傑というイメージよりも、水滸伝に出てくる一丈青扈三娘のような剣技にたけ、かつ、洞察力も鋭い、という、その手のキャラクターのイメージ付に便利なのかな?と思ったりします。

田中作品に限らず、他の作品でも出てくるのですが、自分の中で印象深い「のじゃロリ」と言えば「狼と香辛料」の賢狼ホロなどを思い出します。あちらは「のじゃ」というより「わらわ」や「ありんす」と花魁言葉の中に「のじゃ」が混じっているような感じですが。

ただ近年になって「のじゃロリ」なんて言葉が出回りだした頃に、その元祖は?と考えてみたときに、アンジェリナ姫を思い出すんですよね。ロリではないけれど、のじゃ姫=鋭い・老成しているというテンプレを、無意識に生み出したキャラなのではなかろうか?と。


マヴァール年代記再読



田中芳樹さんの小説と言えば、銀英伝の地名度が圧倒的ですが、自分が最初に読んだのは、確かマヴァール年代記だったように思います。銀英伝に関しては、小説やアニメよりも、PC9801時代のゲームで入ったのが最初で、小説→アニメの順で入った、そんな記憶があります。もう20年以上昔になりますか。

当時は、創竜伝、アルスラーン戦記、タイタニア、七都市物語・・と、色々書いておられたように思いますが、その中で、困ったことに「完結している」という理由だけで、マヴァール年代記は読む価値ありの作品になってしまっています。まさか、20年前は、アルスラーン戦記といいタイタニアといい、20年経っても終わっていない、なんて事態は予想していませんでしたから。。


話の内容は、コンパクトにまとまった銀英伝、とでもいいましょうか。執筆は銀英伝の方が先、マヴァール年代記の方が後になります。
父親を弑逆し皇帝となったカルマーン、その事実を知りながら、その部下として仕え、いつかカルマーンから簒奪を企む、ヴェンツェルン、幼き頃の二人の学友にして、ただ野心もなく生きるリドワーンと、三者三様の主人公たちの話になります。
(銀英伝のイメージで言えば、カルマーン=ラインハルト、ヴェンツェルン=ロイエンタール、リドワーン=ミッターマイヤー、という感じ)

作品としては30年前の作品なれど、今これがライトノベルとして現れたら、もっと評価されるのに・・という感じもして、もっと読まれてもいい話なのになぁ。。と思います。

ただ「皆殺しの田中」の異名は、ここでも発揮されるというか、今思うと、マヴァール年代記にも、最後の方で「粗さ」が目立つんですよね。。。それは、当時、高校生の頃に読んだ頃には気づかなかったものが、この歳になって読み直したから気づいた、というのもあるのかも知れません。
最後は、カルマーンとヴェンツェルンが激突することになるのですが、ええええ、というか、タイタニアやアルスラーンの最後のあたりを思い出すと、むしろマヴァールの頃にその萌芽はあったと考えるべきなのか・・と思ったりもします。そう思うと、銀英伝の頃は、余裕があったのか、最後の話の終わりは綺麗に終わっているなぁ・・と思うんですよね。特に田中芳樹さんの作品は、謀略家だの野心家だのと言った曲者がたくさん出てきて、うまく「始末」しないといけないので、どうしても最後にそうなってしまうのかな?と思います。(銀英伝で言えば、最後にオーベルシュタインが死ぬシーンがありますが、主人公ラインハルトより生き残っていたら、話が終わらない気がしますものね)

物語は、最後を片付けるのが難しい。。。という実例かも知れないですね。


日常と非日常の合間

今のコロナ禍の時期というのは、はてさて非日常なのか。

自分は今40代半ばで、言ってしまえば氷河期ロスジェネジャスト世代だったりします。
高校生くらいまでは、バブルとかなってたけれど、大学入試のときには試験活動の最中に阪神大震災。大阪在住の自分も、家は無事でしたけど、多少は影響は受けました。
(新幹線で1時間で行ける岡山の大学に、在来線で4時間かけて下見に行ったり)
そして入学の直前にはオウム真理教の地下鉄サリン事件。
ネットが今みたいにない時代ですけど、大学にあったUNIX室では、その頃ちらほら話題になりだしたインターネットが見られたので、サリン事件なんてニュースを見てました。

そして4年たち就職活動するころにはバブルは弾ける。有名な山一證券の破綻を筆頭に、苦労したほうです。
それでも、理系の、しかも研究室の指導が厳しいこともあってか、秋頃には全員決まっていた気がします。私も4年の5月頃には内定をもらっていました。

ただ、仕事に行っても、今度は会社が大変だったというか。入社した年には、グループ全体で5000億の減収減益、2年目は正真正銘の7000億の赤字でした。
「V字」回復やるぞーとスローガンの一方で、現場では「L字」になってまうんちゃうか、とか言ってたものです。

それでも10年ほど経って、リーマンショックにつづいて止めは東北の震災。そのあとリストラもあって、30歳半ばで私も放浪プログラマが始まるわけですが。。。

まぁ、こんな社会との関わりを持ち方をしてしまったら、日常なんて何の意味があるんだろうか?と考えますよね。今は非日常?なんで?こんな人生(とは言っても、私はまだ幸せな方だと思いますが)だと、人生と社会と生命の不安定さなんて、こんなもんじゃないの?と思ったりするんです。

コロナ禍はいつか収束し、やがて「日常」が世間を支配し、多少はシン・ゴジラのラストの如く、爪痕を残し、それと生きる生活が戻ってくる。でも、板子一枚下は地獄。。。

それは「日常」なのかも知れないが、その日常というのは「作られた虚構」にしか感じられないことがあり、それが自分の「違うんじゃないかな・・?」という違和感が、再び自分を鬱の世界に導いていくような、そんな気がしてならないんです。よう知らんけど(台無し


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プロフィール


佐倉純

Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなプログラマ。
日本の事を憂いてみたり、日々思ったことをまとめて、綴ったりしています。その合間に写真も撮っています。
時々子供のネタなんかも。

ぜひゆっくりご覧ください。


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