さくらのみや日記

さくらと日本と鉄道好きな、野良プログラマのブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


おきてがみ

飲み会でした

職場の飲み会でしたので、今日のつらつら語りはお休みします。

ただ職場の飲み会なのに、まさかまさかの岡田あーみんネタで盛り上がるとは思っていませんでした。
えらい金鉱を掘り当ててしまったぞこれは。

あと、職場で「ガラスの仮面の会」なるものに参加させられそうです。。。ひいぃ。

おきてがみ

鷲田小彌太さんの「自分で考える技術」を読み中です

長らく更新をさぼっておりますが、なんとか生きております・・。

本屋で通りすがりで手にとってみた、鷲田小彌太さんの「自分で考える技術」を読んだりやめたりしながら読み中です。



平易で読みやすい文章で、すごぉく奥深いことを語っているような、表面的なようで、それでいて簡単そうに見えてやり続けることが難しい・・うーん、不思議な文体です。

ちなみに私は恥ずかしながら、鷲田さんの著書を読んだことがなく、知の縦横家とでも言うべき多彩な活動をしているこの人についてほとんど知らなかったので、まだまだ知らないことがたくさんあるなぁ・・と思った次第です。
いや恥ずかしい。

考えるということは「技術」であり、「技術」は再現できることである。
そこを超えたところは「芸術」の域に達する。

凡人の身として考えるのは「技術」の修練ですよね。

ただ、仮に「芸術」の域を目指すにしても、「技術」をないがしろにしてはいけない。否、技術の延長に芸術があるという感じもします。(まぁ、当たり前な話なんですが)

まだ読み中ですが、読了前に、鷲田小彌太さんという人物が面白く感じた本です。

おきてがみ

「若者殺しの時代」読書メモ

先に取り上げた、赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」の中でも、再三再四紹介される、堀井憲一郎氏の著作。この書を下書きに、赤木氏の作品は書かれてように感じるくらいに、本作は実に面白い作品、という風に感じました。



作者の堀井氏は、調べて見たところ、1958年生まれ。私のような1975年生まれから見ると、17歳差で、0.5世代くらい上の感覚という風なところでしょうか。(赤木智弘氏は1975年生まれ。誕生日まで考慮すると、私の1ヶ月後くらいの生まれのようです)
ここで、堀井氏の作品と、赤木氏の作品を読む上で「属する世代」というのは、とても重要な要素になります。
堀井氏の著作の中で出てくる「若者」という世代は一体いつの世代を指しているのか?とても重要な要素なのですね。

本書では、堀井氏自身が「若者」だった世代について、すなわち、1980年代を中心に回顧をする、という形式で、当世代に起きたこと、そして起きていて気づかなかったこと、さらに、それがどういう影響をもたらしたか、ということを、ぼんやりと書いて行く、という体裁で述べられていきます。

なので、私と同じ世代や、それより上の世代は「あー、そんなこともあったなー」という感じで読むことができます。

たとえば。

クリスマスを恋人と過ごす習慣が根付いたり。
「一杯のかけそば」なんていうお話があったり。
年越しはディズニーランドで過ごすようになっていたり。
宮崎勤事件が起きていたり。
ポケベルから携帯電話になっていったり。

そういう80~90年代に発生した「事象」についてぼんやりと振り返りながら、一方では丁寧に当時の資料等を検証しながら「あの時代、流れとして振り返ったら、一体何が起きていたのか?」を解き明かすという仕組みになっています。

なので、それより若い世代の人が読むと「??」になってしまうことがあるかも知れません。
私も80~90年代と言えば、5才~24才に相当する年齢なので、90年代はまだしも、80年代の「若者」というのはいささか自分よりも年上の世代という感覚です。

80~90年代というのは、景気が最盛期にあって、あらゆるものがパッケージ化され「大人」が「若者」を消費の対象として取り込み始めた時代、という風に、本書では定義されています。クリスマスは恋人と二人でホテルで過ごそう!なんて象徴的ですね。私も高校生だかの頃に読んだ本で、クリスマスのホテルの予約は2年先だか3年先だかまで予約で埋まっている、なんて話があって「いやはや大人になるのは大変やなー」と思ったのを覚えています。
(もっとも自分たちが「若者」と呼ばれる世代には、バブルが崩壊した後だったので、そんなのはネタになってしまうわけなんですが・・)

表題となっている「若者殺しの時代」で「若者」とはどういう扱いをうけ、どう処理される仕組みが作られていったのか?そういったことが平行して紹介される、と言う形です。

肩肘張らずにニヤニヤしながら読めて、かつ、今置かれている状況がどういう状況なのか?を確認する意味でも面白いです。
「若者の~離れ」ってのは、この本を読めば、そりゃ離れるよな、という気分になりますね。

おきてがみ

「若者を見殺しにする国」読書メモ

赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」読了&メモなど。


こう言ってなんですけれど、言っていることは当を得ている上に、それなりにうなづくこともあるにも関わらず、この著者にあまりシンパシーを感じないのは、なんなんだろう・・というか(笑)

著者は論座誌上に「希望は、戦争」と名付けられた論文を掲載し、いわゆる左系の文化人達を(比喩的な意味で)頬をはたき回ったという、なかなか楽しい人です。
「若い貧困層が、左翼に期待しない(いわゆる「右傾化」に走る)のは何故か?」というのは、困ったことに、この程度の文章を書く人に簡単に論破されてしまうような内容だったりするんですね。左系の人がどんな論陣を張ったところで、こんな言い方をしたら失礼ですが、赤木氏一人の雇用口さえ提示できない。こんな単純なことで、現実を見ずに理想を振りかざす左翼の欺瞞を指摘しています。

じゃぁ、右翼がいいのか?というと、そういう立場にも赤木氏は立たず、やれ右だ左だの論争とは違う方向に向かおうとするのですが・・。

まぁ、言わんとすることはわからないでもないというか、男女平等っていうのなら、主夫の地位向上を!というのは、それなりに正しい部分はあると思います。私自身もその考えがわからないのでもないと言いますか、さまよえるプログラマもどきとしては、個人的には、定職があってなきがごとき状態なので、ヒモとまで言わないにしても、主夫に近い状態になるかも知れんなぁ・・と感じたりもするもので(苦笑)

でもなんというか、私は別にキリスト教徒ではありませんが「神は自らを助くるものを助く」ではありませんが、どうもそういう風な意識が伝わってこず、氏については「本人が仕事をできないのは、仕事を任せたいと思われない何かがあるのでは?」という意地悪な事を考えてしまいます。
本書が書かれたのが2007年頃なので、その頃から比べると、著者はそれなりの論客として活動されているようなので(邪推すれば格差社会のロスジェネ代表みたいなポジションは確保できている様子なので)それなりに需要はあるところで、活動できているだなぁ・・と思うので、まぁ仕事はそれなりにあるんだ、なんて思ったりもします。

ただこの本の困ったところは、そういう著者についてシンパシーはあんまり感じないのですが、言っている内容は鋭いところをついていたりもします。
たとえば、大人が作った「若者」像に当てはめられて、ロスジェネ以降の世代はその型に嵌められて苦しんでいる、と言うところは、大体当たっているんじゃないか?と思います。

もっとも「大人の立場」で言えば、そんな型は勝手に作られたものなんだから破ればいいじゃない?という話なのかも知れませんが、実際のところ、型を破るのに挑んで失敗したら、本当に人生そのものが危ういという立場を間近に感じて居るのと、安易に煽るのとでは、違う立場にあるというのを考えながら「大人の立場」では読まないといけないかも知れません。

うーん、なんていうか、まとまりのない文章で恐縮です。

おきてがみ

「艦これ」ではないけれど・・聯合艦隊に魅入られたひとりとして、取り上げずにはおれませんでした。

ふらふらっと本屋で立ち読みで「聯合艦隊軍艦銘銘伝」という書物を買いました。


昨今は某艦これのお陰か、軍艦モノに関する書物が割合目をひくようになっていて、艦これ以前から、小学生の頃は戦艦・金剛のプラモを作って従兄弟と遊んだり、パソコンを手に入れてからは光栄の「提督の決断」で愛好している、なんちゃって帝国海軍好きとしては、資料探しに苦労しないなぁと思うことが多くなりました。
もっとも、艦これの影響は、悪い方向にも働いているのか、粗悪な本も増えたような気もしないでもないのですが・・。

そんななかで、この本は600ページ及ぶ、厚さ3センチ程もある、まさしく「銘銘伝」。帝国海軍の軍艦が人物なら、まさしく人名辞典の決定版とでも言うべき名著と言えましょう。
元々は、この手の方面ではガチな雑誌で有名な「丸」誌の連載をまとめたものらしく、その中で紹介されている艦船の数は圧巻の自称860。聯合艦隊といいながら、ちゃっかり自衛隊の船舶についても紹介されていたり、連合艦隊では不遇に終わった「陸奥」についても、のちに原子力船の「むつ」として名前が使われていることなども紹介されています。
(自衛隊の艦ということでは、例えば漁船転覆事故で有名になってしまった潜水艦「なだしお」なども載っていますが、本稿執筆が古いためか、事故については触れられていません)
860とまで行かなくても、その半分の400でも、例のゲームで実装されたら・・・どうなることやら(汗)

この書籍の大本の著者は片桐大自氏(1927~1991)。1927年は昭和2年の生まれで、当然のように戦中を生き抜いた方で、本人は日本の軍艦設計の第一人者・平賀譲(戦艦大和を初め、多くの巡洋艦・駆逐艦の設計に携わった造船技師の第一人者)に憧れ、学生時代に工廠で仕事をしながら造船技師を目指すも、成人するころに終戦。造船の夢を諦めた後は、日本の国語教育に携わった傍ら、膨大な海軍の艦船の資料の整理を行ったという人物です。
本業の国語教育(国語教科書の作成)でも実績を残した人物ですが、むしろこの「聯合艦隊軍艦銘銘伝」で評価される日がいずれくるかも知れません。

さて、今回この本を多くの文章を書いたのは、軍艦への愛情の深さに加えて、さすが国語教科書を作ったという経歴が示す通りの片桐氏の文章の美しさ。これに尽きます。

日本の軍艦の名前は、大雑把に
・戦艦=旧国名(大和・武蔵..etc)もしくは山岳名(金剛・比叡..etc)
・巡洋艦=山岳名(重巡の場合。愛宕・高雄..etc)もしくは河川名(軽巡の場合。五十鈴・長良..etc)
・駆逐艦=気象など自然現象(吹雪・白雪・初雪..etc)
となっていますが、その名称に美しさについて氏は「詩情を感じる」と述べておられます。私もこれには同意です。
(欧米などは今でも艦船名に人名を使うことが多いですが、ださいなーと思いますもの。ちなみに日本の帝国海軍が人名を採用しなかったのは、明治天皇ご意向らしい)
これに関しては、本書を立ち読みでもいいので目を通していただきたい!と思うのです。

帝国海軍と言えば大和と言う人も多いですが、通?としては長門が好きなので、長門の紹介をしているこの片桐氏の文章は心を静かに打ちます。
以下引用。

長門(ながと)
 長門は現在の山口県北西部、長洲の名でよばれることが多く、薩摩とともに明治維新の志士を輩出した。
(中略)
 昭和二十年七月十八日、横須賀の小海岸壁で米高速機動部隊約三〇〇機の空襲を受け、被弾二発、艦長・副長が戦死した。しかし、艦隊は中破程度で終戦を迎えた。
 終戦時に生き残った唯一の戦艦であり、開戦時の聯合艦隊旗艦だけが最後に残ったことは感無量である。
 だが、敗戦の現実は冷厳であった。
「長門」は戦利艦として連合軍に接収され、アメリカ海軍に引き渡された。そして翌二十一年七月二十五日、ビキニ環礁における原爆実験に供せられたのである。それは、アメリカが帝国海軍そのものに課した処断を象徴するかのようであった。
「長門」の最期を飾るせめてもの慰めは、同じ実験に供せられたアメリカの戦艦「アーカンソー」は轟沈、空母「サラトガ」も瞬時にして大破したのに対し、四日間も浮き続け、日本の造艦技術の優秀さを身をもって示したことである。
 しかし、五日間(七月二十九日)の朝、「長門」は忽然として姿を消していた。巨像がその臨終の姿を何びとにも見せないのにも似た、雄艦の臨終であった……。
 願わくばその悲痛な最期が、二十一年前に同じく実弾標的として土佐沖に沈んだ僚艦「土佐」について言われたごとく「『長門』の寂滅こそ世界平和を意味するもの」であってほしい。その在世時の栄光のゆえに……。



艦これが流行っているのは、そういう潜在層もあったというのもあるのでしょうが(開発者の方も相当なミリオタらしいので)なんとなく儚げな印象が、いつまでも連合艦隊に付き纏うんですよね。

おきてがみ

竹島プロジェクト2014

2006年以来参加中の「竹島プロジェクト」ですが、2014年も呼びかけだけはやります(笑)

政治の右や左の細かいことは関係ありません。竹島は間違いなく、日本の領土だ!
この一点において、またその心意気に賛同いただける方々で、ブログを使い、この認識を広めていただける方に参加いただきたいと思っています。

普段政治系のネタをやっているとかやっていないとか、関係ありません。
むしろ普段政治ネタをやっていないブログの皆様が参加してこそ、運動が広がる契機になります。
ぜひよろしくお願いします。

ブログ参加概要(推奨):
ブログやホームページに竹島の画像、イラスト、文字等を配置し、互いにリンクする。
島根県Web竹島問題研究所へのリンクをはり、2/22竹島の日のアピールに勤めます。

・以下私見(去年と文面はほぼ同じです)
ここのプロジェクトの影響ってわけではないと思いますが、最近はtwitterなどでも、いわゆるネトウヨと嘲笑されるような発言をたくさん見てきました。twitterのアイコンに日の丸系とでも言ったら良いんでしょうか。私自身は、この手合いが増えていることは手放しで喜ぶ気分には慣れません。概ね主張する内容は極論の方が多いです。
私自身は右・左に関しては、今の基準で言えば右、緩い保守派とでも言えるのかも知れませんが、思想が自分と違えども話が出来る人ならいいのですが、右であろうが左であろうが、極論しか述べないのは自分にはついて行けないなーと思うことしきりです。自分の政治ネタブログを始めて10年ほどになりますが、極端な人は右も左も同根同質という印象です。

これを以て日和ってると思われるならご自由に、なんですが、私の昔からの主張は、冒頭にあるように右や左の細かいことは関係なく竹島の日を広めよう、それは政治イデオロギーの問題じゃなくて、領土に対する意識問題だという気持ちも入っています。(実は竹島は日本のもの、という主張は、保守の真逆にあるであろう日本共産党が一貫して主張していたりするんですよね。)

余計なことを書いてしまいましたが、今年も、2/22まで、ぜひよろしくお願いします。

みなさまよろしくお願いします。

おきてがみ

ちょっとだけ鬱にまつわるエトセトラ プロ指導者のえらいお言葉など

最近少し時間があるので(というか求職中なので)読書していることが多いです。
プログラマっていうかIT職って鬱とか休職とかメンタル的に死ぬ人が多い世界なんだから(ブラック企業やブラック組織が多いとも言う・・かも。頭脳労働なのでなおさらメンタル的に死ぬというか・・)リフレッシュ期間とか特例として認めてくれないかなぁ。
心療内科にかかる保険料と企業が払う保険料と勘案したら、一ヶ月のリフレッシュ休暇の有無で相殺できる、とかなら、アリの様な気がしないでもなく。

具痴はさておき。

吉田康弘さんの「組織で生き残る選手 消える選手」という本を、読み中です。


著者はサッカーJリーグの鹿島・清水・広島などで活躍し、今は指導者として活躍しておられます。
ただ、私自身サッカーに疎いのもあって、ご尊名は存じ上げませんでした。でも、30才後半まで活躍という、Jリーガーの中では比較的長いキャリアを経験しておられたそうです。
しかし、たとえば三浦知良選手のように、華々しいキャリアを持っているわけでもなく、ご本人曰く「(日本)代表入りすらしていないのに」長いことJリーガーとして活躍してきた、その極意のような物を語っておられます。

読み中なので、読後感想はまだ・・じゃなくて。

書かれている内容はそんなに難しくない、でも継続して実践するのは根気がいるし難しいなぁというのはありますね(笑)
・・と、そういう批判めいたことを書きたいわけではなくてですね。

私自身、こういう勝負師の世界に生きる方の作品というと、以下のような方の作品を読んできました。

・大山康晴(故人・将棋棋士)
・羽生善治(将棋棋士)
・谷川浩治(将棋棋士)と古田敦也(元プロ野球選手・監督)の対談
・野村克也(プロ野球選手・監督)
・落合博満(プロ野球選手・監督)(敬称略、著書名は面倒なので省きました。ごめんなさい)

上記の方々の著述に加え、今読んでいる吉田氏の物にしても、共通しているのは

・書かれている内容はそんなに難しくない、でも継続して実践するのは根気がいるし難しいなぁ

なんですよね。まぁ、後者に関しては、それが出来たからみんな厳しい世界で一流と呼ばれる人物になったのですが、そのとっかかりの方は、全て「簡単なこと」というのが私が今回言いたいことの一つです。
落合氏などは「物事の極意は全てシンプルに尽きる」と言い切っていたように思います。


結局の所そうなんですけれど、何故か我々の仕事であったり、自分のメンタルの問題は、難しい方向に進むんですよね。

笑い事ではないのですけれど、難しい方向に物事が進み出したら危険信号、というのは、ソフトウェア工学の、というかハッカー・ギーク系では常識化しているのですけれど、私の身の回りのどぶ板IT・システム開発業界では、まだまだその認知は先の世界のようです。

おきてがみ

「乙女戦争」のレビュー

昨日のレビューに続いて、2作目です。
近所にあるアニメイトで見つけた作品なんですが、元々はアニメイトで、森薫さんの「乙嫁物語(6)」を買いに行って、表紙が目に付いたので買ってみた作品です。
ちなみに、Amazonのいわゆるお勧め商品と言いますか、「これを買った人はこんなのも買っています」のところで、乙嫁のページを見ると、この「乙女戦争」もお勧めされます。大体客層がかぶるんでしょうなぁ(苦笑)




で、中身ですが、唐突に大文字で語りますが

タイトルが「乙女戦争」なのに、乙女じゃなくなるよ!(性的な意味で)

乙嫁の件でもそうなんですけれど、いわゆる「戦う女の子」物ですね。
この「戦う女の子」系統は
1.「トゥーム・レイダー」のララ・クロフトの様な「ムキムキマッチョのアマゾネス」系
  (ララ・クロフトを存じない方の為に、喩えとしてわかりやすく「なでしこジャパンの澤兄貴系」とします。「吉田沙保里兄貴系」でもいいです。イメージですよ。イメージ!)


2.ジャンヌ・ダルクのような可憐な乙女が非力ながらも必死に頑張る系
  (ジャンヌダルクが実際はどんな女性だったかわからないので、1と同じスポーツ界に喩えるなら「浅田真央系」「高梨沙羅系」とでもしておきます。これもイメージですよ!)


とあるようで、これは後者に属します。
(この分類をしていて、ちょっと気づいたことがあるので、別メモを書いてみたいと思います)



正直、表紙を見ただけでは「ジャンヌ・ダルクが主役?」と思ったのですが、違っていて、15世紀にボヘミア・ポーランド(現チェコ)で起きたフス戦争と呼ばれる宗教戦争を題材にした作品です。
(私も不勉強でフス戦争という言葉は知りませんでした。)

で、冒頭のいきなり「乙女じゃなくなるよ!」なんて書いちゃいましたけど、主人公の少女・シャールカは、

十字軍気取りのキリスト教騎士団に住んでいる村を襲われる。

村の人みんな捕まる

(シャールカ含め)女の子みんな騎士に陵辱される。シャールカ処女喪失。

陵辱された女の子はみんな死ぬ(シャールカだけ気絶だけで運良く生き残る)

暴行時の破瓜の気絶から目が覚めたら、村人がみんな吊り殺されていた

という、四球・四球・四球・満塁ホームランを浴びた阪神・岩田投手のような開幕スタートで始まります。
(岩田投手に対して悪意はありませんが、イメージです。イメージですよ!

そんな感じの開幕ダッシュなんですが、興味があるのは、そんないきなり絶体絶命な主人公を拾ったヤン・ジシュカという隻眼の傭兵隊長がいるのですが、この人、実在の人物なんですよね。
そのジシュカの部隊に参加して、シャールカは敵討ちの為に戦場に立つ、というのがストーリーの本筋です。

フス戦争において、歴史上のヤン・ジシュカは、フス派と呼ばれるプロテスタントの一部に味方し、十字軍や神聖ローマ帝国などの、外部からのカトリック勢力と争い、何度もカソリック勢力を追い払ったことで、ボヘミアの英雄として扱われている人物です。
この人物の注目すべき点は、そういう年表的な歴史での業績とは別に、西洋で本格的にマスケット銃、要するに鉄砲を実戦で用いたということで、この「乙女戦争」の作品の中でも、ジシュカがシャールカに「笛(ピーシュチャラ:ピストルの語源)を授ける」という台詞が印象的に描かれます。

この辺りは、日本の戦国時代「やあやあ我こそは」と名乗っていた武田軍の武士を、農民兵が鉄砲でバンバン倒していく「長篠の戦い」の織田信長のような人物を想像させます。

実際、信長とよく似て居るなぁと感じる部分が他にもあって、ヤン・ジシュカという人物も全く穏やかではなく、理想主義を貫くような正義漢ではなく、たとえばシャールカの可憐な容姿・神聖性を逆手に利用して、フス派の何も知らない盲信的な信者達を狂戦士に仕向けたりするシーンがあったりするなど、バンバンと汚い手を使うというような事もしていきます。

私は、こういうピカレスクは大好きなんです(笑)

余談ながら、枕で述べた「乙嫁物語」の乙女のアミルさんは、既婚者なんだけど未だに乙女のような気がしてならない・・性的な意味で。

おきてがみ

「私という猫」のレビュー

少し暇が出来たので、しばし書き物を。

というわけで「私という猫」についてのレビューです。




二つ紹介していますが、上の「私という猫」が、巻数で言えば1巻、下の「私という猫 -呼び声-」と副題のついているものが、巻数で言えば2巻に相当します。

さて、世の中に猫を題材にした小説やマンガは、ご存じ夏目漱石を筆頭にたくさんありますが、この2篇と、そしてこれを書き上げたイシデ電という人は「凄い!」の一言しかありません。

猫を題材にした作品というのはどうしても猫を「かわいい物」という、人間から見た愛玩動物としての側面を描くことになります。なので必然的に「癒される」とか「ほっこりする」という印象になります。読んでて幸せな物になるというのが多いと思うんですよ(適当に主観で書いてます)

ところでこの「私という猫」については、これは猫が好きな人が読むと、大きく評価が分かれると思います。私のように圧倒されて息を呑んでしまうか、嫌悪感で燃やしたくなるか(笑)

内容をさらっとネタバレにならない程度に書きますと、「私」という自称で称される一匹のメス猫の視点で物語は描かれるのですが、「私」やその周辺の猫たちは、いわゆる野良猫として描かれています。
「私」は群れるのが嫌いだが、猫は群れていないと生きていけない。「私」も餌にありつくにも群れからつかず離れずマイペースで、時に面倒を起こしたり楽しんだりしながら、それでも飄々と生きていく様を描きます。
前巻のハイライトは、そんな群れの中で「ボス」と呼ばれる群れのボスの活躍と生き様が描かれます。
この巻については、ボスの人生(猫生?)とその周辺の野良猫たちの力強い生き様に、人間社会のそれを重ね合わせて共感して読むこともできるので、普通の人でも受け入れることは難しくないと思います。

圧巻なのは後巻に当たる「-呼び声-」篇です。
ボス亡きあとの群れたちは、次第に色々な形で野良猫としての凄惨な人生(猫生?)を送ることになります。
餌を十分に確保できずひっそりと死んでいく猫、人間に駆除されていく猫・・・。
主役の「私」もあるときに、自らのミスで人間に捕まり、人間に「害敵」としてある悲惨な目にあってしまう。。。

---

私が思うに、猫を心底愛している人は、この作品を好意的に受け入れられると思いますし、単に「猫好き」なだけの人は、えげつない作品という感情だけが残ると思います。一種のリトマス試験紙、猫好きに対する踏み絵的な作品です。

後半の「-呼び声-」篇は、特別に悲惨な表現はなく「現実はこうだよ」と提示しているだけなのに、どうしてここまで凄惨に感じるのか。私が感じるのは、人間社会も一皮むけば変わらないよ、と感じるからかも知れません。

この「私」の世界観では、野良猫だけではなくて、人間に飼われている猫も出てきて「飼われ」という形で少し蔑んだ表現で呼ばれたりもしているのですが「与えられるだけで何もしないで温々と餌がもらえる幸運」な猫たちが、他の猫を題材としたマンガや小説でキャッキャウフフと持て囃されて扱われているのならば、その戸板一枚めくると、野良猫たちの凄惨な生存競争が行われている、そういう姿を忘れるなよというメッセージのようなものを、私などは感じる次第です。

前巻はなかなか入手しづらいのですが、後巻だけでも楽しめる作品ですので、全然癒されない猫マンガ(笑)お勧めです。


おまけ
違う意味でホラーのようなギャグのような猫マンガ、伊藤潤二の「よん&むー」です。

犬派の岐阜県在住某漫画家J氏が、結婚して猫派の奥さんに押し切られて猫を飼い始めた時の実体験?のようです。
絵はホラー調ですが、中身はギャグですよ。お口直しにどうぞ。

おきてがみ

あけましておめでとうございます。

2014年賀状


おきてがみ

 | HOME |  »

竹島プロジェクト


提供:natsuka.net様


twitter




プロフィール


Author:佐倉純
日本と桜の花と寝台特急「さくら」をこよなく愛する、そして最近カメラに目覚めたのんきなエンジニア。
日本の事を憂いてみたり、日々思ったことをまとめて、綴ったりしています。その合間に写真も撮っています。
ぜひゆっくりご覧ください。
メールはこちらからどうぞ。


ブロとも申請フォーム


この人とブロともになる


最近の記事



コメントとプラグイン



カレンダー(月別)


10 ≪│2014/11│≫ 12
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -


カテゴリー



ランキング



リンク



ブログパーツ





あわせて読みたいブログパーツ


ブログ検索



マイサーチ


自分のマイサーチ 全体


RSSフィード



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。